【コラム】ペイシェントジャーニーを活用しよう
これまで3回にわたって、ペイシェントジャーニーの本質や、その作り方を見てきました。患者さんが置かれている状況をしっかり把握できているペイシェントジャーニーを作ることができれば、それをきっかけにプロダクトマネージャーは医師や患者さんに役立つ施策を考えられるようになります。ペイシェントジャーニーの活用は、これだけにとどまりません。もっと多方面に活用することが可能です。今回は、ペイシェントジャーニーの活用法について見ていきましょう。
(Prospection株式会社 カスタマーサクセス プリンシパル 高橋洋明)
ペイシェントジャーニー活用法 4選
ペイシェントジャーニーには、さまざまな活用法があります。今回は4つご紹介します。
1. MR教育への活用
MRやMRの指導育成の担当者にペイシェントジャーニーを共有し、MRに医療現場の実情を理解してもらうという取り組みも有益です。現場を知らないMRの話より、現場を知っているMRの話の方が、医師は聞きたいからです。
医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドラインの施行以降、筆者の知り合いの医師たちから「MRが添付文書に書いてあることしか話せなくなった。治療の相談をしようと思っても、難しくなった。これだとMRに会う意味がない。」というコメントが聞かれるようになりました。
このような背景を踏まえると、医療現場や患者さんの背景を考慮したディテーリングができるMRを育成することは、現在のMR教育の最重要課題の一つと言えるかもしれません。
特に、臨床での患者さんの困りごとなどに配慮した発言が常にできるMRになることは、医療従事者からの信頼獲得や、面談機会の創出につながりやすいです。このことをMRに適切に理解してもらい、日々のMR活動で実践してもらう必要があります。
そのような指導の場面で、ペイシェントジャーニーを学ぶことは、MRが患者さんのことをより深く理解することにつながるでしょう。
2. 自社医薬品のメッセージ開発への活用
ペイシェントジャーニーは、患者さんに提供できるベネフィットを明確にした製品メッセージの開発に役立ちます。
特に、患者さんの判断軸やそこから想像される患者さんの困りごとに対して、自社医薬品が役立つ場面がないかを検討することは、その医薬品が患者さんにどのように貢献できるかを医師が具体的にイメージしやすくなります。
このイメージを医師にきちんと持ってもらえるかどうかが、その後の処方に直結するため、非常に重要な取り組みであることは言うまでもありません。
3. 地域医療連携のサポートへの活用
疾患や地域によっては、かかりつけ医と地域医療支援病院などが連携しているエリアもあります。そのような場合、ペイシェントジャーニーでエリア内の医療連携の状況が明らかになります。
そのため、完成度が高いペイシェントジャーニーは、地域医療連携の状況を評価に使えます。ペイシェントジャーニーによって、病診連携や在宅医・訪問調剤・訪問看護・訪問介護らとの連携の中で、強化すべきところを明確化し、医療機関の地域医療連携室やその他のステークホルダーとの協議に活用するなど、ペイシェントジャーニーの活用の幅は広がります。
4. Beyond the Pill
ペイシェントジャーニーの活用は、将来的には医薬品だけでなく、治療アプリの開発といったBeyond the Pillにも通じると考えられます。
治療アプリは、患者さんの受診行動全体や情報へのタッチポイント全体をフォローアップしやすいため、患者さんに関連する豊富なデータがアプリ内に蓄積されます。そのデータを活用すれば、患者さんの治療成績の向上に資するアプリのバージョンアップなども行いやすいという特徴もあります。
したがって、ペイシェントジャーニーの活用は、医薬品だけでなくその他の新サービスの開発と普及、社会への貢献などにもつながるでしょう。
時代の変化に伴って、ペイシェントジャーニーも変化する
デジタルツールやウェアラブルデバイスなどの普及に伴って、患者さんのペイシェントジャーニーも変化しました。従来は体調の不調から医療機関への受診が一般的でしたが、現在では受診前に情報収集するフェーズが確実に存在していて、そのフェーズに多くの患者さんが滞留することも明らかです。
また、受診後は患者さんの行動データや医師の処方データを活用可能になったため、患者さんにとっての最高の治療体験を提供することにデータとサービスを還元しやすくなりました。
現在の製薬業界では、ペイシェントジャーニーの作成と活用を通じて、「いかにして医療従事者と患者さんのゴールの達成を支援し、継続して自社製品を処方し続けてもらうか?」というポジショニングの確立を目指す動きが出てきています。そしてペイシェントジャーニーの活用を通じて、自社製品への医師の期待感を高めることも、プロダクトマネージャーの腕の見せ所になりつつあります。
ペイシェントジャーニーに頼らない戦略はあるか?
一方で、ペイシェントジャーニーを用いずに、自社医薬品の効果の高さや安全性の高さを訴求し続け、適格例には必ず自社医薬品を処方してもらうという戦略を取ることも可能です。ただし、その場合は、以下の点を理解しておくことが必要です。
- 患者さんの一連の受診行動の中で、製薬企業が患者さんを支援できる情報提供が、自社医薬品に関連するものに限定されやすいこと
- 医師や患者さんとの接点が少ないほど適切な情報提供が難しくなり、結果として患者さんの治療からの離脱を防ぐのが難しくなること
- その結果、ペイシェントジャーニーを理解しているサードパーティとその情報プラットフォームから取り残され、それらのプラットフォームがなければ患者さんとの接点を得ることができない立場に変化していく可能性が高まること
- 自社医薬品以外の事業ドメイン、例えばBeyond the Pillといった新たな事業ドメインを捨てるという判断が伴うこと
- これらが製薬業界内で自社と他社の相対的な評価にも繋がりかねないこと
さらに将来的には、同種同効品といった直接の競合だけでなく、患者さんのヘルスケアに関わりうるスポーツジムやサプリメーカーもライバルになり得ます。彼らが自社にどのような影響を及ぼすか(例 健康増進がどんどん広まり、生活習慣病治療薬の処方開始時期が大幅に遅れていくことで、自社医薬品の売上の伸びが鈍化する など)をしっかり評価する必要もあります。製薬企業がペイシェントジャーニーを作り、今から価値創造を続ければ、競合優位を勝ち取ることができるでしょう。
ペイシェントジャーニーで、新たなマーケティングの在り方にシフトする
ペイシェントジャーニーの作成によって、患者さんへの理解が深まり、必要な情報を必要な時期に提供できるようになります。そうすれば、「治療の成功や治療目的の達成を目指す医師および患者さん」と高頻度に接点を持てるようになるでしょう。このような状況を作ることができれば、製薬企業は医療従事者や患者さんの共感を得やすくなるでしょう。
現在は、多くの業界においてこのような顧客との関係を構築することが、ビジネス上非常に重要です。しかし、製薬業界では、それができていないために苦戦しているMRや製薬企業が散見されます。そのため、製薬企業による従来の「MRの営業活動へのリソースの投入」から、「患者さんのペイシェントジャーニーを用いた価値提供型のマーケティング活動」へのシフトは、プロダクトマネージャーが主導で行うことが望まれるでしょう。
ペイシェントジャーニーの作成と活用は、自社医薬品の価値の最大化につながる
製薬業界でもDX(デジタル・トランスフォーメーション)に取り組む企業が一気に増えていますが、その目的は「医師や患者さんに成功をもたらす新たなUX(ユーザー・エクスペリエンス、顧客が経験する価値)を提供すること」です。
その目的を達成するための実践の一つが、ペイシェントジャーニーを活用することなのです。
ペイシェントジャーニーに取り組むことは、単なる患者さんへの理解を得ることにとどまりません。患者さんへの理解を深めることが自社医薬品のLTV(Life Time Value)の最大化につながり、ひいては自社のビジネスの成長にもつながります。
他の業界ではすでに自社に最適なUXをデザインし、ビジネスの成長に繋げている事例がどんどん増えてきています。ペイシェントジャーニーを理解し、それを踏まえて自社医薬品の価値を最大化するのが、これからのプロダクトマネージャーに託される重要な役割であると言えるでしょう。
<参考>
藤井保文, 小城 崇, 佐藤 駿, 日経BP, 2021『UXグロースモデル アフターデジタルを生き抜く実践方法』