【コラム】効果的なペイシェントジャーニーの作り方を理解しよう
製薬業界はこれまで、自社製品の価値、すなわち有効性や安全性などを医師に伝え、患者さんに処方していただくことで、患者さんにベネフィットを提供してきました。今でもこの点は変わりませんが、社会はさらなる変化と進歩を続けています。このことは、患者さんの価値観、ひいては医療従事者の価値観も変化させました。そこで今回は、結果につながるペイシェントジャーニーの理解を深め、その作成にチャレンジしてみましょう。
(Prospection株式会社 カスタマーサクセス プリンシパル 高橋洋明)
新たな時代を迎えたペイシェントジャーニー
コラム「ペイシェントジャーニー入門」第1回 と第2回 、および「これからの製薬マーケティングに必要なDX/UXの考え方 」のシリーズでお伝えしてきたように、インターネットやスマートフォンなどの普及によって、患者さんや医療従事者を取り巻く環境が激変しています。
このことは、患者さんのペイシェントジャーニーにも変化を及ぼしています。
患者さんが触れる情報のタッチポイントが増え、患者さんが情報を入手しやすくなりました。患者さんが受け取る情報も玉石混交化し、今の患者さんはテレビや書籍、知り合いからの口コミなども含め、さまざまな情報が錯綜する状況下に置かれています。患者さん自身が情報の真偽を確認する必要が増えたりするなど情報検索が一層高度化され、それに伴い患者さんの行動の複雑化が引き起こされました。
また、この患者さんの変化は医師の診察の場面にも影響を及ぼしています。
現在外来では、医師は患者さんからのさまざまな質問に対して回答をしなければならない場面が増えています。それは、患者さんが事前に多くの情報を入手し、それを医師に確認するからです。
さらに、医師は患者さんに対して、治療法や処方する医薬品によってどのようなベネフィットがあるのかを、従来以上に、明確に、分かりやすく患者さんに伝えることが求められるようになりました。これもインフォームドコンセントや患者さんの治療からの離脱防止、治療成績の向上、医療訴訟の回避など、時代の流れからの要請とも言えるでしょう。
こういった患者さんや医師の環境と背景の変化に伴って、製薬企業も情報提供に最適なタイミングや患者さんの医療情報へのタッチポイントを把握する必要性が高まっています。自社の医薬品に関連する情報を、医師と患者さんに効果的に情報提供できる方法がないかを検討することも、プロダクトマネージャーの重要な仕事の一部になりつつあります。
そのための具体的な方法が、ペイシェントジャーニーの作成です。
ペイシェントジャーニーでメッセージを磨き込む
ペイシェントジャーニーを検討することで、患者さんが情報を必要とするタイミングとそのタッチポイントを明確にすることができます。もう1つ、ペイシェントジャーニーで得られるメリットがあります。それは、その時に患者さんに届けるべき情報も明確になるということです。
患者さんが受診前であれば、疾患に関連する情報やそのための治療法の情報が必要です。患者さんが治療中であれば、治療法あるいは治療薬で重要なポイント(例えば副作用対策や治療中断のリスクなど)を伝えることが重要と考えられます。
これらの情報があることで、医師は患者さんにどのような経験と価値をもたらすのかを明確に伝えやすくなります。例えば、抗がん剤であれば、患者さんの生存期間の延長によって、患者さんとご家族が一緒に過ごす時間を増やすという価値に気づきやすくなるでしょう。
このように、医薬品が提供できる価値を明確にすることは、同種同効品が増える中、いかにして自社医薬品が医師の共感を得るかという製薬企業や製品の差別化ポイントになり得ます。
医師の共感が得られないマーケティングやメッセージングは、処方も得られません。そのようなことにならないように、製薬業界は従来以上に患者さんへの理解を深めるため、ペイシェントジャーニーとメッセージを一層詳細に作り込む必要が高まっています。
これらを踏まえると、私たちは自社医薬品を「患者さん自らが、目指す成功を実現するために必要な治療法や治療薬の一つ」と位置付け、深く認識することからはじめなければならないでしょう。
ペイシェントジャーニーの作り方
患者さんの受診行動を精緻に把握するためのペイシェントジャーニーをどのように作れば良いかを、一緒に見ていきましょう。
1. 患者さんの判断軸を理解する
まず、ペイシェントジャーニーを作りたい疾患の患者さんを理解します。具体的には、患者さんが体の不調を感じてから医療機関を受診し、転帰に至るまでに、患者さんの判断軸、すなわち「患者さんは、こういう状況に置かれたら、どのように判断するだろうか?」を炙り出します。
この時最も大切なことは、診療ガイドラインのプロセスをなぞるだけで終わらせてはならないということです。結果として患者さんがそのプロセスを辿ることはありますが、私たちが取り組むべきなのは、患者さんの判断軸を完治・寛解・脱落などの転帰に至るまで追いかけ続けることです。それが患者さんを理解することの第一歩です。
2. 患者さんの判断軸を大まかにまとめる
1.で炙り出した患者さんの判断軸を、おおまかなペイシェントジャーニーにまとめましょう。この時、無理に1つのペイシェントジャーニーにする必要はありません。患者さんの価値観は多様だからです。
例えば、世帯所得が数千万円の患者さんと数百万円の患者さんや、家族と同居している患者さんと独居の患者さんでは、それぞれ異なるペイシェントジャーニーになることもあり得ます。
なので、ペイシェントジャーニーは1つ作成すれば良いというものではありません。疾患にもよりますが、少なくても下記のような切り口で大まかに患者さんを分類し、それぞれにペイシェントジャーニーを作成するのが望ましいかもしれません。
患者さんの家族状況 | 家族同居/独居 |
---|---|
患者さんの世帯所得 | 富裕層/中間層/それ以外の層 |
デジタルツールの習熟度 | 高い/低い |
合併症 | あり/なし |
3. 患者さんの判断軸をペイシェントジャーニーにマッピングする
2.で作成したペイシェントジャーニーと実際の患者さんの行動を照らし合わせてマッピングします。
このペイシェントジャーニーは、患者さんの判断軸やその時点で必要とする情報の種類によって、前半と後半に分けられるかもしれません。筆者のこれまでの経験上、前半は患者さんが体調不良を感じてから診断に至るまでの治療前フェーズと言えるでしょう。後半は治療開始から転帰に至るまでの治療中〜治療後フェーズです。
治療前フェーズでは、患者さんは自分の症状を明らかにすべく、病気についてやその治療に最適な医師と治療法などを、さまざまな情報をさまざまなチャネルから収集している状況です。
治療中〜治療後フェーズでは、治療法や治療薬の決定、検査結果に基づく治療薬の変更など、患者さんがさまざまな経過をたどりながら、情報を得ていくフェーズです。
この治療中〜治療後フェーズで精緻にペイシェントジャーニーを描きたい場合、現在利用可能なリアルワールドデータを活用することをお勧めします。
例えば、筆者が手掛けているProspectionのデータ解析Platformとレセプトデータを活用すると、サンプル図のようなペイシェントジャーニーを簡単に作成できます。
疾患によっては、治療法や治療薬がたくさんある場合、それらがどの順番で用いられているのか分かりにくいことがあります。
そのような場合、レセプトデータなどのリアルワールドデータを解析するツールを用いることで、診療実態下での治療薬の処方の順番やそのラインごとの薬剤のシェア、各ライン間(例 ファーストラインからセカンドラインまでの期間 など)の処方期間の中央期間および平均期間などが、即座に分かります。
このペイシェントジャーニーに、2.で作成した患者さんの評価軸をマッピングします。
また、PHR(Personal Health Record)などの活用も一案でしょう。疾患によっては、サードパーティが提供している疾患アプリが有益な場合があります。
例えば、Welbyという企業はさまざまな疾患むけにPHRを用意しています。それらのアプリは、医師が知り得ない患者さんの自宅での血圧などを記録したり、患者さんの生活習慣を改善したり、服薬をサポートするなど、自宅における患者さんのペイシェントジャーニーの情報が記録されます。
またこれらのアプリでは、患者さんが情報を入力でき、医師と情報共有するなど、情報の活用がスムーズになされます。これらの情報も、プロダクトマネージャーにとってはペイシェントジャーニーを作る上で有益な示唆を与えてくれます。
4. ペイシェントジャーニーを細分化する
患者さんの判断軸は、その時期だからこそ見えてくる特徴があるかもしれません。3.で見てきた治療前フェーズと治療中〜治療後フェーズですが、それらにマッピングした患者さんの判断軸をよく見ていくと、各フェーズをさらに細分化できます。
例えば、以下のような期間ごとに、患者さんの判断軸が分けられることが考えられます。
- 治療が始まる前まで
- 最初の治療開始から完治まで
- 最初の治療開始から次の治療への変更まで
- 治癒ではなく寛解の場合は、その後の経過観察中
こうした期間ごとに、患者さんがどのようなこと考えるのか、何についての情報を収集するか、医師とどのような対話をするかを丁寧に考察した上で、さらに詳細にマッピングしていきます。
患者さんの希望や治療の状況によっては、医師の治療方針も変わることがあります。
これも診療や処方のペイシェントジャーニーなので、上記2.で整理した患者さんの判断軸をマッピングします。
5. 患者さんへのインタビューで、ペイシェントジャーニーの精度を評価する
4.で作成したペイシェントジャーニーが、実際の患者さんの行動を表現できているか、確認します。
実際には患者さんへのインタビューで、症状を自覚した時から受診、検査、治療、治療後の経過観察に至るまでを詳細に聞き取り、知り得た情報を4.で作成したジャーニーに肉付けします。
それぞれの行動ごとに、「何をきっかけにその行動を起こしたのか?」を深堀りする質問も大切です。
患者さんへのインタビューは、できればグループインタビューは避けた方が良いでしょう。グループインタビューだと参加者に同調圧力が働きやすく、自分の意見を押し殺して他の患者さんの意見に同調する事例が多いからです。患者さんに個別にインタビューする方が、私たちの患者さんへの理解が深まるため、おすすめです。
患者会の所属する患者さんへのインタビューも注意を払いましょう。患者会に所属している患者さんはインタビューなどに慣れていて、話も上手なのですが、回答がやや定型的になることがあります。
また、インタビューの対象者が治療に成功した方ばかりだと、診療の実態がわかりません。臨床では、実際には治療が奏効しなかった患者さんもいます。もちろんこれらは疾患や患者さんによりますが、患者さん向けのインタビューでは多様な背景の患者さんにご協力いただき、質問を練った上で、患者さんの判断軸を深掘りしましょう。
その他、質問としては、治療後、患者さんがどのような生活を送っているか、患者さんが治療開始前に思っていた治療のゴールを達成できたかどうかや、患者さんが今後の自身の生活のために望むことも確認しましょう。これらは治療後のペイシェントジャーニーにマッピングされます。
6. 多様な患者さんの声を収集し、ペイシェントジャーニーに追加する
SNS上の患者さんの声もリサーチして収集しましょう。この作業をビジネスとして提供している企業もあるので、その企業の力をお借りすることも、ペイシェントジャーニーの完成度を高めるために重要です。
SNS以外にも、検索ビッグデータから患者さんの判断軸を炙り出せることもあります。それらをヒントにすることも有益です。
MRの力を借りて、医療現場の最前線の実態を個々の患者さんごとに詳細に医師から聞き取り調査をすることも一案です。その際、よりリアルなペイシェントジャーニーを知るアプローチとしてOne Patient Detailingの活用も有益です。コストも抑えられます。
そして、これらから知り得た患者さんの判断軸や価値観も、ペイシェントジャーニーに落とし込んでいきましょう。
7. ペイシェントジャーニーを元に医師と話し合い、医師や患者さんのニーズを深掘り・特定する
6.で作成したペイシェントジャーニーに基づいて、医師などの医療従事者と一緒に、患者さんの受診行動全般を話し合ってみましょう。これらは医療従事者、製薬企業ともに、患者さんへの理解が深まることに役立ちます。
例えば、臨床で提供される医療行為と患者さんの満足度のギャップの特定や、患者さんがサポートを必要とするタイミングの理解など、診療の質を高めるための医療従事者との深いディスカッションができます。そのようなディスカッションを通じて、プロダクトマネージャーが製薬企業の立場から、臨床現場の課題を解消できる解決策が提案できるかもしれません。
また、2.でさまざまな状況(家族状況、世帯収入、デジタルツールの習熟度、合併症の有無など)の患者さんのペイシェントジャーニーを検討しました。それらを医師などと話し合うことで、自社医薬品の売上に寄与する要素とその重要度の順番がわかります。例えば、医師が患者さんの世帯収入によって治療薬を決めている場合、自社医薬品はどのような世帯収入の患者さんに適切かを知ることができるでしょう。これは自社医薬品の売上に関わる要素と言えます。
また、複数のペイシェントジャーニーそれぞれに該当する患者数も把握できるため、ペイシェントジャーニーに取り組むべき優先順位をつけることもできます。
8. ペイシェントジャーニーの精度を評価する
ペイシェントジャーニーに対する医師などの医療従事者や患者さんからフィードバックを得て、ペイシェントジャーニーの有用性を評価しましょう。
評価すべきポイントは主に、次の通りです。
- 実際の患者さんをあるがままに把握できているところは、どこか?
- 実際の患者さんをあるがままに把握できていないところは、どこか?
- 患者さんがどのような状況で、どのようなことに困るのかが、医療従事者にも共感してもらえたか?
- プロダクトマネージャーの施策の検討のヒントが得られたか?
ペイシェントジャーニーは作りっぱなしではなく、常に患者さんが置かれている環境の変化を反映したもので、患者さんに対する私たちの理解を深めるものでなければなりません。
患者さんの実態を反映したペイシェントジャーニー作りは、医師の共感を呼ぶ
ペイシェントジャーニーの作り方を見てきましたが、「ペイシェントジャーニーを精緻に作り込もうとすると、労力と時間が必要になりそうだ」と思われたかもしれません。
ですが、これは慣れてくるとどんどん短期間で作成できるようになります。
実際に医療機関でペイシェントジャーニー作りのワークショップを行うと、患者さんの多様な判断軸やモノの見方、価値観などに気を配れるようになることで、短い時間でさまざまな見方に基づく判断軸や、情報収集のチャネルが出てくるようになります。
患者さんへの理解が深い製薬企業は、医師にとって心強い存在です。ペイシェントジャーニー作りは、そのための第一歩と言えるでしょう。
<参考>
藤井保文, 小城 崇, 佐藤 駿, 日経BP, 2021『UXグロースモデル アフターデジタルを生き抜く実践方法』