希少疾病用医薬品のマーケティングにおける課題とオウンドメディアでの取り組み
希少疾患領域で事業を展開するBioMarin Pharmaceutical Japan株式会社では、オウンドメディア運営などを通じて希少疾患のマーケティングや、「患者中心の医療」という概念であるペイシェントセントリシティの体現に取り組んでいます。同社代表取締役の中村圭氏ならびにセールス&マーケティング部 マルチチャネルカスタマーエンゲージメント シニアスペシャリストの佐藤大輔氏に、希少疾患におけるマーケターの意識や、実際の取り組みにおいて留意している点などについて取材しました。
知識や経験の差が課題となる希少疾病用医薬品のマーケティング
希少疾患のマーケティングでは、どのような課題があるのでしょうか。
中村:希少疾患に限らず、医薬品マーケティングではニーズの正確な分析・把握が課題となっています。希少疾患は、全人口の約5%は影響を受けていると言われている1)のですが、その一方で、診療の場で希少疾患に出会うことがなければ、その疾患自体が存在することを知らない医療従事者もいるのが現状です。そうした背景を踏まえた上で、希少疾患マーケティングの課題は2つあると考えています。
1つ目は、患者さんやご家族、医療従事者といった立場ごとに疾患についての知識や経験の量に「ばらつき」があるため、単一的にアプローチすることが難しいという点です。また、市場や臨床現場ごとにどのようなニーズが存在するかを正確に分析することも困難な領域であると言えます。
2つ目は、希少疾患を担う会社や、当社のように希少疾患領域に特化している会社はリソースが潤沢にないことが多いという点です。特に当社は社員数約30名で希少疾患の治療薬4 製品*を扱っているという体制のため、限られたリソースの中でいかに的確なマーケティング戦略を練っていくかが重要になります。
*2023年3月1日現在
そうした課題を解決するため、貴社ではどのような意識を持ってマーケティングを行っているのでしょうか。
中村:まず「ばらつき」をどう解消していくかという点では、私たち製薬企業は研究開発から発売、プロモーションを行う中で各種ステークホルダーへの情報提供を展開していきますが、その際患者さんとそのご家族や医療従事者が「何を欲しているか」「どのような形での情報を欲しているか」を知ること、考えることに重きを置いています。
そして導き出されたものが、私たちがそもそも提供できるものなのか、提供できるサービスが本当の意味で価値のあるものなのかということを事業判断の基準にしています。
またリソースに関しては、当社では「ニーズを正確に知る」ことを最も大切にしています。誰がどういうニーズを持っているかを知り、次にそのニーズの重要性や優先順位、そして求められる解決法といった「理想」を的確に把握するために、とにかく市場調査を徹底的に行って洗い出します。
この市場調査は外部に委託して行うような調査だけではなく、あらゆるチャネルを活用しています。例えば対面型のインタビュー形式で調査を行ったり、リモートでの集団インタビューをオンラインで行ったりと、非常に大きいサンプルを取って調査を行なうこともあります。
<BioMarin Pharmaceutical Japanで実施している市場調査の一例>
- 対面型インタビュー(1on1)
- 集団インタビュー
- アンケート
- 実地インタビュー(特約店MSの協力で実施)
こうした調査においては、複合的な視点から見て、当社なりに調査結果を咀嚼することが重要です。患者さんや医療従事者だけでなく、患者さんのご家族や友人、同僚の視点、あるいいは疫学データの側面からみた視点、等さまざまな視点や情報源を複数のチャネルから分析し、その疾患の市場にまつわる仮説を検証するという取り組みを行っています。
市場調査で得られた情報は、どのように施策に活かしていますか。
中村:調査や分析の結果に基づいて、施策の優先度を設定しています。あらゆるリソースが限られていることが多い希少疾患領域では、全ての施策を同時に実行できるわけではありません。そこで、短期的もしくは長期的に何をするかを決定するフェーズや、大きな課題に対して何を最優先に実行しなければならないのかを決める状況において市場調査の結果を大いに活用しています。
優先度を設定する際には、短期・長期のような「時間」と「ニーズの大きさ」の2つを主な判断軸としています。例えばニーズの大きさに関して言えば、その疾患に関する正確な情報がインターネット上になくて、正確性や信頼性に欠けるサイトやまとめサイトなどが結構目につくということがあれば、そこに対して優先的に手を入れていくよう取り組んでいます。
ペイシェントセントリシティ実現のために必要な意識や体制は
オウンドメディアの運営において、ペイシェントセントリシティの視点で意識していることはありますか。
佐藤:分かりやすさを追求する上で、まずは作り手側がその疾患や患者さんについて理解することが重要だと考えています。そのため、実際に制作作業に着手する前に、当社のWebサイトの構築・運営に関わるパートナー企業の方々と、今回対象となる疾患がどのような疾患で、主にどういった方々が見るWebサイトであるか一緒に確認し、制作の方向性をすり合わせることを意識しています。
そのすり合わせ時には、「もし自分や自分の子供、あるいはその友達、知り合いの子供がその希少疾患の患者さんだったら、このWebサイトについてどう思うか?」といったところまでなるべく深く話し合ってからWebサイトを作るようにしています。
また、現在メインで当社のオウンドメディアを担当いただいているパートナー企業さんは製薬業界に特化されているわけではないので、一般の方の視点としても意見をいただいています。例えば、患者さん向けコンテンツの制作において「この表現がわかるかどうか、率直に一般の方の視点で見てください」というお願いをしたりしています。特に、当社が関わる疾患には希少疾患の中でもとりわけ患者数が限られている超希少疾患もあることから、こうした密なコミュニケーションをとって、良好な関係を構築しながらお仕事をさせていただくことが、情報の受け手から求められるオウンドメディアを目指す上で非常に重要だと感じています。
中村:当社としては、「薬を投与して効きました」というだけでは製薬企業が提供するソリューションとして不十分だと考えているので、患者さんの「治療体験」を大切にしています。患者さんやそのご家族がインターネットで検索した時に、いかに効率良く自分の疾患や治療法・予後などを知ることができ、安心を与えられることが重要だという意識を持ってオウンドメディアでの発信に取り組んでいます。
Common Diseaseとはアプローチ方法が異なる希少疾患のマーケティングにおいて、工夫している点などありますか。
中村:希少疾患では、患者数や専門医の数が一般的な疾患と比べると極めて少なくなります。そのため、私たちが情報を届けなければならない層がどこにいるかを特定した上で、確実に届けるためのツールやチャネルを検討しています。
佐藤:3rdパーティーメディアでキャンペーンなどを進める際も、Common Disease(コモンディジーズ)を扱う場合とは患者数や医師側の専門性が異なるため、コンテンツの配信対象を細かく検討する必要があったり、疾患に対する興味の有無、あるいは診療経験の有無などを確認する際には目的や場面に応じて気を付けるべきポイントが幾つかあります。そのため、そうしたいわゆる希少疾患特有のポイントに対してなるべく柔軟に対応いただけるようベンダーさんへ要望しています。
また、Common Diseaseでは基本的に複数の治療選択肢から1つを選ぶため、疾患そのものに関する情報よりは製品情報の提供にフォーカスしていくという特徴があると認識しています。
中村:一方で、当社の扱う製品は、現状ではその疾患に関する治療選択肢が1つしかありません。直接的な競合品がないだけに、製品だけではなく疾患そのものや医療制度など情報を厚く掲載している点が大きな違いだといえます。
さまざまな施策においてペイシェントセントリシティを体現するために、製薬企業側にはどのような組織体制が求められるのでしょうか。
中村:まずは「自由闊達な企業風土」です。いくら組織であろうが最終的に動かすのは「人」なので、部門部署や担当の垣根を可能な限り低くすることが大切だと考えます。医療従事者の方が経験したことや患者さん自身の治療体験など、色々なことを自由に発言し情報共有できることが重要です。
また、「固定概念をなくし、失敗を恐れない」ことも重要です。1の成功の裏には20以上の失敗があるものだと思いますし、その中には法規制などさまざまな制約によって実現できないこともあります。「誰もやっていないからできない」という不要な固定概念を取り払うこともポイントです。
固定概念を取り払うという点に加えて、「一つのことに固執しない」ことも重要です。当社がマルチチャネルを展開している理由として、必要なものを最適な形で提供するためには1つのチャネルに固執するべきではないという考えがあります。
情報のセグメント化とPSPの強化を推進し行動変容につなげる
今後の展望についてお聞かせください。
佐藤:事例の一つとしてご紹介させていただくと、疾患に治療法が存在することを広く浸透させるため、SQREEM Technologies Japanが提供する、医療業界に特化したデジタルマーケティングサービス「モノリス」を活用したキャンペーンを最近展開し始めました。医療従事者はもとより、まずは情報を求める患者さんやそのご家族がいる場所や年齢層などをセグメント化することで、どこでどのような情報が求められているかを見極め、最適なコンテンツを届けるための取り組みです。
ほかの治療薬に先行して、当社では1月から軟骨無形成症のキャンペーンを始めています。専門性が高い医療従事者に巡り合うのが難しいケースがあるからこそ、マーケティングを通して最新の治療法の存在に気が付くきっかけを提供し、最終的には適切な医療機関を受診するという行動変容を起こせるようにしたいと考えています。
既存チャネルの改善や、体制強化の側面ではいかがでしょうか。
佐藤:患者さん向けのWebサイトやトレーニングキットなど、PSP(ペイシェントサポートプログラム)として提供しているコンテンツの改善・強化を図っていく予定です。これから治療を始められる方にもPSP利用のハードルをより下げるためにはどうすればいいかを模索していきます。
患者さんやそのご家族へのサポートが本当にできているかという検証や改善を通じ、PSPが日常の中にあるという感覚を実現することで、患者さんやそのご家族の日常に文字通り寄り添えるプログラムにしていくことが目標です。具体的には治療日誌的な役割を担う機能の利便性向上や、ゲーム的な要素を取り入れるなどの治療モチベーションを上げるための工夫、患者さんからよく聞かれる質問をまとめたFAQ、病院検索機能の追加、専用のコールセンターを設置することなどを計画しています。
SQREEM社との協業で得られた情報も活用し、定期的に当社のサイトを訪れていただく度に新しい情報を持って帰っていただけるよう、より充実した内容にアップデートしていきます。
必要な情報を必要な人に届けることが、医薬品そのものへの信頼に結びつく
正確な市場調査から、患者さんやそのご家族、医療従事者などさまざまな方が抱えている問題を把握し、解決するための手段を構築することが必要となる希少疾病用医薬品マーケティング。
医療従事者ごとに知識や経験が異なるという「ばらつき」を最小限にするには、その疾患そのものや治療法の内容にまで踏み込んだ継続的な情報発信が不可欠です。患者さんを取り巻く全ての立場の方に適切な情報を提供することで、治療薬や治療法への安心感や信頼感、そして未来への希望につなげ、患者さんの治療体験をよりよいものとすることができます。
全世界でのオーファンドラッグ市場は2030年末までに4,567億ドルに達すると予測されています2)。世界的に市場が拡大する中、BioMarin Pharmaceutical Japanが実践する取り組みやそこで活かされる意識は、希少疾病用医薬品を扱う企業にとって参考にできる部分が多いのではないでしょうか。
<出典>※URL最終閲覧日2023.03.01
1) 武田薬品工業, 2020, 日本における希少疾患の課題, P18(https://genetics.qlife.jp/documents/RD_WhitePaper.pdf)
2) PR TIMES, Kenneth Research, 2021.07.31, 希少疾病用医薬品市場-世界の収益、傾向、成長、シェア、規模、予測2022-2030年(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001450.000059861.html)