医薬品市場でのCX創造のためのソーシャルリスニングとデザイン思考の応用|#3 Real World Voiceを拾えるソーシャル・リスニング

医薬品市場でのCX創造のためのソーシャルリスニングとデザイン思考の応用|#3 Real World Voiceを拾えるソーシャル・リスニング

この連載では、ソーシャル・リスニングとデザインシンキングの思考法を繋ぎ合わせたプログラム「ペイシェント・リーダー®」を活用して製薬企業のマーケティングサポートに携わってきた経験をもとに、ペイシェント・セントリックな顧客体験(CX)を創造するための重要なプロセスを解説します。第3回は「Real World Voiceを拾えるソーシャル・リスニング」がテーマです。

(トランサージュ株式会社 代表取締役 瀧口 慎太郎)

【連載第3回】Real World Voiceを拾えるソーシャル・リスニング
マーケティングのゴールは顧客課題を解決することで、顧客の課題を把握することが出発点です。今回は、その顧客課題を紐解くために大事な姿勢として顧客目線で世の中を見ることから始めます。
そしてこれからの時代に製薬企業に求められる課題解決のために、製品枠を超えて生活者目線で医療に目を向けることの大切さをお話しします。最後に、顧客目線や生活者目線で市場を見るために大いに役立つソーシャル・リスニングをご紹介したいと思います。

顧客目線で世の中を見ることの重要性

CXの取り組みに本腰を入れなければ、企業が存続しなくなってしまうかも知れない。最近、多くのマーケティング専門家が異口同音にそう伝えているのを耳目にします。

前回のコラムでは、「CX考察のためには顧客の理解を深めることが第一歩だ」という話をしました。しかし、CXに取り組もうとしている経営者や担当者が真の顧客理解からは距離がある、と感じることが少なくありません。それは表面上「顧客志向」と言っているものの、実は「売上主義」から抜け切れていないからではないか、と考えています。

顧客を理解することは、顧客の目線で世の中を見ることから始まります。売上を最優先と考えるとゴールへの近道をしたくなります。それはまるで部屋から一歩も外に出ずに10分のYouTubeで憧れの土地の映像を見るように、第三者が実施した調査結果を拾い読みすることでショートカットに顧客を理解した気になることと変わりありません。それは、自分自身でその土地固有の日差しや風や湿度、人々の会話や生活リズムなど固有の空気を感じることのないままに、そこを訪れたつもりになることと、どう違いがあるでしょうか。

顧客理解のために顧客の目線で世の中を見ることの大切さの理由は、自分たちの商品を使ってくれるかもしれない人々が「どのようなフラストレーションを抱えているのか」「どのような期待を持っているのか」が初めて見えてくる点にあります。製薬企業であれば、医師や患者の目線で医療シーンを見る必要があります。特に新しい顧客体験を創造しようとするならば、決して自分たち目線で顧客を観察しただけで「顧客を理解した」と思わないことが大切です。医薬品という化学物質を製造する企業がその機能的ベネフィットを念頭に行う第三者的な顧客の観察ではなく、「医師や患者の日常に医薬品がどのように関わり合っているのか」を自分が顧客になったつもりで見回すことが、CXの創造にとっては欠かせません。

顧客の生活と製品を切り離さずに考える時代へ

元資生堂会長の福原義治さんはその著書1)で『商品を中心に企業経済を考えてゆく時代は終わったということです』と言っています。このセリフの背景で著者の福原さんは、次のように語っています。

これまでの企業経済は『現実世界[自然や社会]から経済[や商品]を分離して経済[や商品]を主語』にして個別化してきた。つまり『経済[や商品]は経済[や商品]として純粋に利益を追求していけばうまくいくと考えていた人たちが多かった』。ただ『それだけではないことが目に見えてはっきりする様になって』きて、『例えば生活用品や住宅はそれを取り巻く生活空間、街並み空間、都市空間との非分離の状態をいかにデザインしてゆくか』が大切になってきた、と。
(『 』は著書からの引用。[ ]内は筆者補足)

ここから言えることは、顧客の生活や社会の関わりから切り離して製品単体を念頭に市場を見る時代は過ぎ去ったと言えるのでしょう。CXが求められているいまの時代には、顧客軸すなわち製品だけを切り取らずに、顧客の生活や社会と製品とを一体に顧客の目線で見ることが求められていると言えます。

日常生活の中での顧客の姿を把握するためのソーシャル・リスニング

医療の場合、消費財などのように自分で使ってみる、モニターに貸し出してトライアル利用してもらうということもできないために、顧客の視点でものを見るということになかなかの難しさが伴います。そこで、市場調査で医師や患者さんに自分たちが確認したいことを訊くという方法が、これまでの一般的な確認方法でした。

ただ、この市場調査では対象者となる医師や患者さんに訊く質問を自分たちが設計して訊くので、どうしても対象疾患の診療課題やアンメットニーズがあるだろうと質問設計者にとって想定できる範囲に質問が留まってしまいます。質問範囲をできるだけ広げたとしても診察や治療、または診療費負担や介助といったところまででしょう。それは「質問を設計する」という手段を採る限り当然なことです。

ところが、実際に質問設計なしに患者さんの声を拾い集めてみると、診察治療や費用負担といった比較的医療に直接的に関わる範囲を遥かに飛び越えて、住まいや交通手段、仕事や学校など、とても広い範囲で課題やアンメットニーズが存在していることに気付かされます(下図)。

この「質問設計なしで声を拾い集める手段」が、ソーシャル・リスニングです。

ソーシャル・リスニングはX(旧Twitter)やブログ、Q&Aサイトなどのソーシャルメディア上に発信された投稿から対象とする人たちの声を拾い集めて、対象者の間で「いまどんな話題が盛んになっているのか」「どんな悩みやニーズがあるのか」「どんなチャネルが気に入られているのか」などさまざまなことを分析する手法です。ソーシャルメディアが普及したことによって初めて可能になったもので、2000年以降に登場した、デジタル時代の申し子とも言える新しい手法です。

ソーシャル・リスニングがこれまでの調査と最も異なるのは、上述の通り、さまざまなソーシャルメディア・ユーザーが自由気ままに発信する投稿を拾い集めるだけで設問がない点です。従来からの調査手法では設問を設計して訊く、つまりアスクするので「アスキング調査」と言われるのに対して、ソーシャル・リスニングは「リスニング調査」と言われています。

ソーシャル・リスニングのベネフィット

ソーシャル・リスニングは聞いたことはあるが良く知らない、または利用したことがない、という方も少なくないと思いますので、ここで少しご紹介したいと思います。

ベネフィットその1:希少疾患など難しい疾患も対応可能な、2億を超える対象ID数

ソーシャル・リスニングでは、アスキング調査で用いる調査パネルを用いず、XなどのSNSを中心にブログやQ&Aサイトなどのソーシャルメディアを用います。現状、対象とする各メディアのID数を累積すると2億を超えています(下図)。

したがって、アスキング調査で用いる調査パネルでは見つけづらい患者さんを見つけることができるというメリットがあります。例えば希少疾患の患者さんを見つけることも得意ですし、未受診の患者さんや治療脱落をした患者さんなどを見つけて声を拾うこともできるという特色があります。

ベネフィットその2:Real World Voice = バイアス・レスによる自由なナラティブ

ソーシャル・リスニングには設問がないため、アスキング調査と比較してバイアスが少ないという特色があります。

調査上のバイアスはさまざまあります。
まず回答するかしないかを自分で選択するセルフセレクション・バイアスです。調査パネルの場合も基本的には調査協力する/しないは本人の自由意思に基づきますし、ソーシャルメディアでは投稿をする/しないは発信者の自由意思に基づきます。この、アンケートへの回答やソーシャルメディアへの投稿を「する/しない」がセルフセレクション(自由意志に基づく選択)というバイアスで、ソーシャル・リスニングでの唯一かつ最大のバイアスがこの「セルフセレクション・バイアス」です。

アスキング調査ではこのほかにも、聞き手バイアス(聞き手の先入観や設問設計におけるバイアス)や回答者バイアス(質問者への忖度や記憶違いなど)が入ることも考えられます。また最近では希少疾患の調査の場合で、医師や患者会からの紹介で調査を実施することもありますが、この場合サンプルセレクション・バイアスが入ってしまうことになります。

バイアスの種類

バイアスの内容

Patient Reader®

アスキング調査(従来の調査)

セルフセレクション・バイアス

ソーシャルメディアに投稿するorしない/アンケートに協力するorしない

あり

あり

聞き手バイアス

聞き手の先入観や質問の取捨選択など

なし

可能性あり

回答者バイアス

質問者への忖度や記憶違いなど

ほぼなし

可能性あり

サンプルセレクション・バイアス

医師や患者会の推薦だった場合など

ほぼなし

あり

ソーシャル・リスニングでは、これらの聞き手バイアスや回答者バイアス、サンプルセレクション・バイアスなどが入るリスクはほとんどないため、相対的にバイアス・レスと言えます。

結果として拾い集めることができた投稿には、患者さんやそのご家族のナラティブ(ありのままの経験や想い)が描き出されています。これらのナラティブは、ときに読者自身が経験しているかのような錯覚さえ感じさせるほどの強いインパクトを与えてくれます。多くの場合、複数の患者さんのナラティブを集積することで発症から治療終了までの一連のペイシェントジャーニーを把握することができる上、その病気によって生じるあらゆる悩み(トータル・ペイン)や心理状態の変化などを伺うこともできます。

こうした特色から、わたしたちはソーシャル・リスニングの声を「Real World Voice」と呼んでいます。

ソーシャル・リスニングが克服すべき点

克服すべき点その1:定量分析が苦手な非構造データ

ソーシャル・リスニングの最大の課題は、拾い集めた情報が非構造であることです。これは設問がないことと表裏の関係にあります。つまり、アスキングでは訊きたいことを訊いてゆくために設問ごとに回答の傾向を知ることができますが、投稿の場合は発信者が書きたいことを勝手に書いているので投稿ごとにトピックスは全く異なり、傾向分析などの評価が非常に困難な事があります。

わたしたちはこの非構造データをなんとか分析するために、最終的に分析対象とする投稿のすべてにさまざまな視点でフラグ付けをすることで全体傾向を見る、あるいは重要なナラティブを総合的にテキスト分析する、などの工夫によって、インサイトを考察することなどに役立てています。ただ、ソーシャル・リスニングでわかる全体傾向もあくまでも傾向であり、母集団反映ができないために定量的な考察には十分と言い切れません。

克服すべき点その2:クレンジングの必要性

ソーシャル・リスニングでは、どんなテーマで投稿を拾っても分析には不向きな投稿が必ず含まれてしまいます。例えばある病気をテーマに投稿を抽出すると、有名なタレントさんがその病気に罹ったニュースやその病気で亡くなった有名人の方の命日へのメッセージなどが入り込んでしまいます。もちろんこれらの情報は、そのタレントさんや有名人のご関係の方やファンの方々にとっては大切なメッセージに違いありませんが、患者さんのナラティブを分析するという目的には合致しないため、対象外投稿として除外します。

こうしたプロセスを「クレンジング」と言います(下図)。特にヘルスケアのソーシャル・リスニングでは消費財などの場合にはそれほど気にされない噂話的な内容も丁寧に除外しなければなりません。そのため、この領域のリスニングのハードルの一つとして、このクレンジングを挙げることができます。

とはいえ、クレンジングにもかなりデジタル技術の活用が可能になっていて、わたしたちがこれを行う際もAI(自然言語解析処理機能)を用いています。ただそれでも、除外投稿が多種多様かつ大量に存在するため何段階にも渡ってデジタル処理を繰り返すほか、ペットに関する投稿などはデジタル技術では除外できないため、最終的に目視検査によってクレンジングを実施する以外に確実な手段がなく、かなりのコツと労力を要するのが現状です。

以上がソーシャル・リスニングの主なベネフィットとチャレンジです。これらの特色を考えると、市場理解のためのデスクリサーチ情報(=2次データ)やアスキング調査結果(=1次データ)とは次元の異なる、1.5次データと捉えることもでき、21世紀になって活用可能になった新たなマーケティング情報として益々活用が高まると考えられています。

顧客目線、生活者目線で世の中を見て、顧客体験を創造する

今回は、顧客の理解をするためには顧客の目線で世の中を見ること、そして顧客の生活と製品を一体に考えることの重要性と、日常生活の中での顧客の姿を把握するためのソーシャル・リスニング、そしてそのベネフィットとチャレンジについてお話をしました。多くの皆さんがこうした新しい手法にも積極的にチャレンジしながら、新しい顧客体験の創造に向け、製品軸ではなく顧客軸で額に汗して考える機会を得られることを期待しています。

参考文献
1) 福原義春+文化資本研究会, ニューズピックス, 2023, 『文化資本の経営・これからの時代、企業と経営者が考えなければならないこと」

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トランサージュ株式会社
『Patient Centricを礎に“マーケティング・エクセレンス”をデザインし、より高品質なヘルスケアの実現に寄与する』をモットーとして、ヘルスケア企業向けにコンサルティング/ビジネスリサーチ/トレーニングを提供。