楽しさが行動を変える。製薬マーケに効く「ゲーミフィケーション」の力

デジタル活用が進む中で、製薬企業のマーケティングや患者支援にも「ゲーミフィケーション」の導入が注目されています。一見、ゲームと聞くとエンタメ業界のものと思われるかもしれませんが、実際にはかなり幅広く、ビジネスや医療の分野でも活用が進んでいる手法です。この記事では、ゲーミフィケーションの基本的な考え方から、他業界・製薬業界の事例、そして製薬企業における具体的な活用アイデアまでまとめました。
ゲーミフィケーションとは何か?
ゲーミフィケーションとは、ゲームに見られる「達成感」「競争心」「報酬を得る喜び」など、人のモチベーションを高める仕掛けを、ゲーム以外の分野に応用する手法のことを指します。
例えば、健康アプリで毎日の歩数を記録し、一定の目標を達成するとバッジがもらえる仕組みや、eラーニングでクイズに正解するとポイントが貯まるようなものがその典型です。
ゲーミフィケーションでよく活用される要素としては以下のようなものがあります。
- ポイント制度:特定の行動に対して加算される数値
- バッジやアチーブメント:達成の証として獲得できる記章
- ランキング:他のユーザーとの競争要素
- ストーリーテリング:行動を物語の一部として組み込む
- レベルアップシステム:継続的な成長実感を提供
ゲーミフィケーションの目的は、「行動変容」や「継続」を自然に促すことです。商品購入だけを目的とするのではなく、学習の定着や習慣化、健康行動の促進など、より広い意味での行動変容を目指しています。特に難しいとされる長期的な行動変容において、ゲーミフィケーションは強力なツールとなり得るのです。
ロイヤリティ・マーケティングとの違い
ゲーミフィケーションと混同されやすい概念に「ロイヤリティ・マーケティング」があります。ロイヤリティ・マーケティングは、顧客の忠誠心を高め、継続的な購買行動を促すことを目的とした手法です。たとえば、購入時にポイントを付与し、累積ポイントに応じて割引や特典を提供するような仕組みが該当します。
両者の主な違いは以下の表のように整理できます。
ロイヤリティ・マーケティング | ゲーミフィケーション | |
---|---|---|
主な目的 | 継続利用・再購入 | 行動促進・モチベーション強化 |
主な施策 | ポイントや優遇特典 | ゲーム的な報酬や進捗の可視化 |
主に使われる場面 | 小売・EC・サービス業 | 教育、医療、社内研修など幅広い分野 |
ユーザー心理への効果 | 「得するから使う」 | 「楽しいから続ける」「達成感がある」 |
他業界でのゲーミフィケーション活用例
ゲーミフィケーションは、すでにさまざまな業界で取り入れられています。とくに教育分野や健康関連サービスでは、「続けたくなる仕組み」を通じて習慣化を支援する実例が多く見られます。
ここからは、具体的な事例を紹介します。
教育業界
教育業界では特に子供向けの分野で比較的早くからゲーミフィケーションが取り入れられてきました。学習という地道な作業に楽しさを加えることで継続率を高める試みは、現在では子供に限らず幅広い年齢層向けの学習アプリで活用されています。
たとえば、月間アクティブユーザーが世界で1億1,300万人を超える人気の語学学習アプリ「Duolingo」1)では、レッスンをこなすごとにXP(経験値)を獲得できるシステムが導入されています。これによりユーザーは自分の進捗を数値で把握できるだけでなく、レベルアップという成長を実感できます。また、デイリーストリーク(連続学習日数)を記録する機能は、「せっかく続いているから今日も学習しよう」という心理を巧みに利用し、継続学習を促しています。さらに、ランキング機能によって他のユーザーとスコアを競うことができるため、競争意識も刺激しています。
こうした「ゲーム感覚で学べる」設計により、本来なら三日坊主になりがちな語学学習を多くのユーザーが継続できるようになっているのです。
観光・飲食業界
観光地で見かけるスタンプラリーも、ゲーミフィケーションの一種といえます。観光地の各所にスタンプを設置し、観光客がそれを集めながら回遊する仕組みは、単なる観光に「コレクション」という楽しみの要素を加えています。
スタンプのコンプリート(完成)を目指す過程で、普段なら訪れないようなスポットにも足を運ぶようになることで地域全体の周遊性が高まり、滞在時間や消費額の増加につながっているのです。
また、飲食業界での代表例として、くら寿司の「ビッくらポン」が挙げられます。このシステムでは、お皿を5枚返却口に戻すごとに画面上でくじが開始され、当たりが出れば景品をもらうことができます。「あと1枚で5枚になる」という状況は、追加のお寿司を注文するという消費行動を自然に促す効果があります。このように食事に「ゲーム性」を加えることで、来店頻度や客単価の向上につながっているのです。
フィットネス・健康管理
フィットネスや健康管理分野でも応用は広がっています。
歩くことでポイントが貯まり、プレゼント応募ができるアプリ「aruku&」も、効果的にゲーミフィケーションを活用しています。
アプリ内ではクエストが用意されており、歩くことでそのクエストを達成するとポイントや応募カードを獲得できます。カードを集めて応募すると地域の名産品やさまざまな賞品が当たるという仕組みです。
また、睡眠改善アプリ「Pokémon Sleep」も、健康管理にゲーミフィケーションを活用した事例です。このアプリでは、寝る前にスマートフォンを起動して枕元に置くだけで、就寝時間や睡眠中の動きなどが計測されます。そして朝起きると、その睡眠の質や時間に応じてポケモンが集まってくる仕組みになっています。質の高い睡眠が取れていると、より多くのポケモンが集まるため、ユーザーは自然と良質な睡眠習慣の形成を目指すようになります。
これらの事例は、「継続が難しい健康行動」にゲーム要素を組み込むことで、習慣化を成功させている好例といえるでしょう。
製薬企業の事例紹介
製薬業界においても、ゲーミフィケーションを活用した取り組みが増えてきています。ここでは3つの事例について紹介します。
ムーミンムーブ(アステラス製薬)
「ムーミンムーブ」は、歩行習慣の改善を目的としたアプリです。アステラス製薬は、このアプリから得られるデータを研究目的に利用できる契約を開発元のTribered Oy(本社:フィンランド)と締結しています2)。
このアプリは、GPSを利用してユーザーの実際の歩行データを取得し、それをムーミンの世界でのバーチャルな旅に変換するという仕組みです。ユーザーが現実世界で歩くと、アプリ内でもムーミンの世界を探索することができ、歩行距離に応じてストーリーが進んでいきます。また、歩くことでさまざまなアイテムや宝物を入手することができます。
キャラクターの世界観とゲーム性を組み合わせ、単調になりがちな歩行習慣を楽しく継続できるように工夫されています。
もぐもぐタウン(大塚製薬)
大塚製薬が提供する「もぐもぐタウン」は、子供向けの食育を目的としたゲームアプリです。食事の写真を撮影するだけで、アプリが食材を自動認識し、その食材にちなんだキャラクター「もぐみん」が登場する仕組みになっています。
出会えるもぐみんは最大100食材、25万もの種類があり、もぐみんを仲間にするためには食に関するクイズに正しく回答する必要があります。このクイズを通じて、子供たちは食材の栄養素や旬などについて楽しく学ぶことができます。
このアプリは、食事とキャラクター収集というゲーム要素を巧みに結びつけることで、子供たちが自発的に食育に関わる機会を創り出しています。
ADHD向け治療アプリ(塩野義製薬)
塩野義製薬が展開する「ENDEAVORRIDE®」は、ゲーミフィケーションを活用したデジタル治療アプリです。これは米国のAkili社が開発したADHD治療用アプリ「AKL-T01」(米国での商品名:EndeavorRx)の日本・台湾における製品で、2025年2月に日本での製造販売承認を取得しています3)。
このアプリは、単なる生活支援ツールではなく、治療そのものを目的とした医療機器プログラムです。画面上で乗り物を操作し、ADHD治療で重要な脳の前頭前野を活性化するように設計されています。日本で実施した第3相臨床試験で、良好な結果が示されました4)。
この事例は、ゲーム要素を治療手段として活用するデジタルセラピューティクス(DTx)の先駆的な例といえるでしょう。
コンプライアンス研修用「相撲ゲーム」(バイエル薬品)
製薬企業における社内教育にもゲーミフィケーションは活用されています。
バイエル薬品では、コンプライアンス関連のガイドラインを社員に定着させるため、「相撲ゲーム」を2018年に研修に導入し、2019年12月から2020年11月まで実施しました5)。
座学を受けた後に「SUMOトーナメント」に参加しクイズに解答すると、関連するガイドラインの内容とともに解説を読むことができる仕組みです。各営業所を相撲部屋、所長を親方、順位を番付などとし、営業所ごとの対決として競争心やモチベーションを喚起しています。
製薬業界でのゲーミフィケーションの可能性
製薬企業において、ゲーミフィケーションはさまざまな場面で活用できる可能性を秘めています。たとえば、医師向け情報提供、患者支援プログラム、社内研修・営業教育などの場面が考えられます。
医師向け情報提供
製薬企業にとって、医師に正確な医薬品情報を効果的に提供することは重要な活動です。しかし、医師の多忙な勤務実態や情報過多の環境では、従来の情報提供方法だけでは十分な効果を上げられないこともあります。ここにゲーミフィケーションを取り入れることで、新たな可能性が広がるのではないでしょうか。
たとえば、eラーニングや製品知識習得のプログラムにゲーミフィケーションを導入することで、医師の学習モチベーションを高めることができます。その結果、医師の医薬品情報への接触頻度が高まるだけでなく、情報の定着率の向上や、より深い理解の促進も期待できます。
患者支援プログラム
患者の服薬アドヒアランス(治療継続率)の向上にもゲーミフィケーションは役に立ちそうです。
服薬管理アプリにポイント機能やキャラクター育成要素を導入することで、日々の服薬継続に楽しさを加えることができます。毎日の服薬という単調になりがちな行為に目標達成感や進捗の可視化といった要素を加えることで、患者の治療への積極的な参加意識を高めることができるのです。
社内研修・営業教育
先ほど事例でも紹介したように、製薬企業における社内教育、特にMR(医薬情報担当者)の教育においても、ゲーミフィケーションは有効だと考えられます。製品知識や規制など、習得すべき情報量が多く、かつ正確性が求められる領域だからこそ、学習意欲を継続的に高める工夫が重要です。
例えば、製品知識や法規制に関するオンラインテストの成績に応じてポイントが付与され、部署やエリアごとのランキングが表示される仕組みは、適度な競争意識を刺激し、学習意欲を高めるでしょう。
導入時に検討すべきこと
ゲーミフィケーションを効果的に導入するためには、戦略的な設計が不可欠です。導入前には、以下の要素を検討します。
目的設定
まずは、目的を明確にしておきます。たとえば、服薬アドヒアランス向上、医師への情報提供効率化、社内教育強化などが挙げられます。
クエスト
ゲーミフィケーションの核となるのが「クエスト」と呼ばれる課題設計です。クエストは、簡単すぎず、難しすぎないバランスが良いでしょう。また、短期・中期・長期の目標を段階的に設定することがポイントです。たとえば、初回の服薬記録といった小さな成功体験から、1週間連続達成といった中間目標、そして治療完遂といった長期目標まで、階層的に設計します。これによりユーザーは常に次の目標を見据えながら進むことができます。
報酬
ユーザーの行動を促す重要な要素が「報酬」です。報酬は、必ずしも金銭や景品とは限りません。報酬(リワード)には3種類あるとされています。これら異なるタイプの報酬をバランスよく組み合わせることで、初期の参加促進から長期的な行動習慣化まで、包括的なモチベーション設計が可能になります。
マネタリーリワード
ポイントや景品、割引など経済的価値を持つ報酬です。即効性があり、初期段階での参加意欲を高める効果があります。医師や患者向けに金銭や景品を提供することは難しいですが、社内研修目的であればこうした報酬も可能です。
インナーリワード
達成感や成長感、自己効力感など、行動そのものから得られる内面的満足感です。難しい課題をクリアしたときの喜びや、自身のスキルアップを実感した際に感じられる充実感などがこれに含まれます。
ソーシャルリワード
称賛や承認、共有などの社会的評価のことです。医療関係者であれば、同業者からの賞賛や専門家認定バッジなどがこれにあたります。また、患者であれば、ユーザー同士の交流も含まれます。
進捗の可視化
ユーザーのモチベーション維持には、進捗状況の効果的な可視化が欠かせません。「自分は前進している」という実感が、継続の原動力となるからです。
プログレスバーやマイルストーン表示、次のレベルまでの残りポイント表示など、視覚的に進捗を示す工夫を取り入れましょう。特に長期的な取り組みが必要な服薬支援では、この「見える化」がモチベーション維持の鍵となります。
導入時のポイントと注意点
ゲーミフィケーションを製薬マーケティングに導入する際には、いくつかの重要なポイントと注意点があります。
ユーザー中心の設計
対象ユーザー(医師・患者・社内メンバー)の本質的な動機付けを理解し、それに応える設計を心がけます。形式的にポイントやバッジを導入するだけでは効果は限定的です。医師であれば専門性向上や評価、患者であれば健康改善や生活の質向上など、それぞれのニーズに応じた設計が重要です。
持続可能な設計
一過性の盛り上がりで終わらないよう、継続的な変化と新鮮さを提供しましょう。継続的な報酬に加え、新規コンテンツの追加、季節に合わせたイベントなどの変化で興味を維持することが大切です。また、コミュニティ機能によるユーザー同士の交流も取り入れると長期的な参加促進につながります。
ガイドラインの遵守
製薬業界特有の医薬品プロモーションコードや各種規制を遵守することが不可欠です。医師向けにはマネタリーリワードのようなインセンティブは避け透明性を確保し、また患者向けには適切なプライバシー保護を心がけましょう。コンプライアンスを維持しながら、教育的価値や使いやすさを重視した設計が重要です。
マーケティングに「遊び」の要素を
ゲーミフィケーションは、単なる「面白さ」の追求ではなく、科学的な行動心理学に基づいた行動変容の仕組みです。製薬業界という規制の厳しい環境においても、創意工夫次第で効果的に活用できるアプローチになります。「楽しい」「続けたい」と感じてもらえるような体験設計が、結果として患者の健康や医療関係者の専門性向上につながるという好循環を生み出すことができるのです。患者、医療関係者、そして製薬企業自身にとって、三方よしの関係を構築できるよう、戦略的なゲーミフィケーションの活用を検討してみてはいかがでしょうか。
1) Duolingo, Inc., 【Duolingo Language Report 2024】Duolingo、世界・日本の学習トレンドを発表。世界で最も学習熱心な国1位は「日本」!|PR TIMES
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000054.000069537.html
2) アステラス製薬株式会社, 歩行習慣に関するデータ解析で北海道、青森県と提携
- スマートフォン向けゲームアプリ「ムーミンムーブ」を通じデータを解析 -
https://www.astellas.com/jp/news/26491
3) 塩野義製薬株式会社, 小児期における注意欠如多動症(ADHD)に対するデジタル治療用アプリ 「ENDEAVORRIDE(エンデバーライド)®」の国内製造販売承認取得について
https://www.shionogi.com/jp/ja/news/2025/02/20250218.html
4) 塩野義製薬株式会社, デジタル治療用アプリSDT-001の国内第3相臨床試験の良好な結果および国内における製造販売承認申請について
https://www.shionogi.com/jp/ja/news/2024/02/20240226-1.html
5) ユームテクノロジージャパン株式会社, 相撲ゲームで楽しみながら、コンプライアンス関連の行動規範定着を図る
https://umujapan.co.jp/interview/case-bayer/