感情を動かす|製薬プロモーションに「ストーリーマーケティング」の考え方が有効である理由
医療用医薬品のマーケティングにおいて、科学的根拠に基づく情報提供は必須ですが、その際淡々とデータを説明するだけでは印象付けに不十分な場合があります。患者の実体験に基づくストーリーなどを加え感情に訴えかけることで、ターゲットの行動変容を効果的に促すことができます。本記事では、ストーリーマーケティングの重要性と、製薬業界における新しいマーケティングアプローチの可能性について探ります。
医師や患者への情報提供における課題
医療用医薬品マーケティングにおいて、医師や患者への適切な情報提供は欠かせません。しかし、その過程では以下のような課題が存在していると考えます。
1.情報の氾濫
現代ではデジタル化の進展により、医薬品や治療に関する情報がインターネット上で容易に入手できるようになりました。この情報の多さが、製薬企業がターゲットに伝えたい情報を届ける際の障害となっています。目新しさなど工夫がなければ、情報の海の中で埋もれてしまい、目に留めてもらうことが難しくなっています。
2.「患者視点」の不足によるコミュニケーションギャップ
医師は専門的な知識や経験を多く持っていますが、患者の疾患への理解度や日常生活で抱えている悩みなど、患者視点の情報についてはフォローできていない場合もあります。それらの情報ギャップが、医師と患者間のコミュニケーションや意思決定に影響を与え、ひいては患者が適切な治療を受ける機会の損失や治療満足度を下げることにつながる可能性もあるでしょう。
感情体験を引き出すことの重要性
このような状況を打破するために、感情や価値観に訴えるアプローチが効果的であると考えています。
人間は感情に基づき行動し、その後に論理的な正当化をする生き物です。言い換えれば、意思決定や行動には感情が欠かせません。そのため、医療用医薬品マーケティングにおいても、医師や患者のニーズをふまえつつ、積極的に感情体験を引き出すことが極めて重要です。
例えば、愛着心、安心感、共感などの感情を意図的に喚起することができれば、意思決定や行動を促進させる可能性が高まります。感情は、顧客の内部で生まれるものであり、その個人にとっての価値を形成するため、他社製品との単純な比較や競争に陥りにくく、個別の魅力を伝える手段として非常に有力です。
そのため、製薬企業のマーケティングにおいても、医薬品の科学的データだけでなく、患者や医師の感情体験に焦点を当てたマーケティング戦略を立てることは効果的であると考えています。感情体験を重視したマーケティングを行うことで、製薬企業は医師や患者との信頼関係を築き、自社製品の価値向上や行動変容を効果的に促進することができるでしょう。
感情を動かすのに有効なのが「ストーリー」である
感情体験を引き出すには、ストーリーの持つ力が有効であると考えています。
ストーリーマーケティングとは?
ストーリーマーケティングとは、訴求したいメッセージを伝えるために、ストーリーの要素を駆使するマーケティング手法です。具体的には、特定のキャラクターをもとに物語を進行させることで感情移入しやすくし、それを通じて製品やブランドに関連づけられたメッセージなどを伝えることで、顧客の共感を引き出すことを目的としています。
具体例として、ロブ・ウォーカーとジョシュア・グレンが2009年に実施した「Significant Objects」プロジェクト1)が挙げられます。これはストーリーテリングの効果を示す顕著な例です。このプロジェクトでは、安価なアイテムに架空のストーリーを添えて販売し、商品の知覚価値※を大幅に高めることを成功させています。例えば、99セントで購入した馬の置物に創作された物語を加えた結果、62.95ドルで販売され、商品価値が約63倍に上昇したのです。この結果は、ストーリーマーケティングが知覚価値を大幅に高める可能性を示しています。
※知覚価値:消費者が製品に対して抱く、品質や費用に対する総合的な価値判断のこと
製薬業界においても、ブランドや製品のメッセージを伝えるためにストーリーマーケティングが活用されています。例えば、「突如重い病気を発症した小学校教諭の心の葛藤から、闘病を乗り越え、再び教壇に立つことができるまで」など、1人の患者の人生に焦点を当てたストーリーは、医師や患者の感情を効果的に動かし、行動変容を促す手段として用いられています。
ストーリーマーケティングを取り入れることで、治療の必要性や製品の有用性など、伝えたい内容を効果的に印象付けることが可能となります。
製薬業界版「ストーリーが持つ3つの力」
医療用医薬品マーケティングにおけるストーリーの活用には、以下の3つの力があると考えています。
1.差別化の力:
情報があふれる現代においても、ストーリーは目立ちやすく、人々の記憶に残りやすい要素です。例えば製品や治療法に関するストーリーテリングは、他社製品にはない独自の価値を訴求するのに役立ちます。
2.医師と患者間のギャップを埋める力:
患者の実体験に焦点を当てたストーリーは、医師に患者のニーズや不安への一層の理解を促し、より患者に寄り添った治療方針決定や治療説明を行う助けとなります。
患者の実例を通じて、医師にとっての新しい気づきや深い共感を引き出すことができます。
3.感情的説得力:
ストーリーを通じて情報提供することにより、治療の価値や製品の有用性、具体的には生活の質向上や症状の軽減などをよりイメージしやすいかたちで伝えることができます。自分の生活に置き換えて考えてもらうことで、データのみで伝えるよりも説得力が上がります。
このようなアプローチを通じて、医師がより深く製品や治療法の価値を理解できれば、単なる情報提供だけではなく患者に適切な対応をとることができるようになるでしょう。
ストーリーマーケティングのメカニズム「UNITEの法則」とは?
ストーリーマーケティングを成功しやすくするためのアプローチ「UNITEの法則」を紹介します。
UNITEとは、「Understand (顧客理解)」「Nurture (価値の育成)」「Imprint (鮮明な印象)」「Touch (心に響く)」「Elevate (価値の向上)」の頭文字を取ったもので、ストーリーテリングを軸に活動する株式会社アトムストーリーが近年提唱し、多くの業界で幅広く活用されています。
この5つの要素をマーケティング活動に組み込むことで、顧客の感情に訴えかけ、ブランドや製品への共感や愛着を効果的に引き出すことができます。
「ストーリーマーケティング」の成功事例
ここでは、ストーリーマーケティングの活用により、医師の意識や行動に直接的な影響を与えた事例を紹介します。
目的・背景
ある製薬企業が、脳外科領域の医師に対して、一般的な診療経過など疾患理解向上を目的としたオンラインセミナーを実施。
背景には、入院不要な治療の利点を医師に伝え、その重要性を理解してもらう必要性や、患者と医師間のコミュニケーション改善と情報提供に関する課題が存在していました。
ストーリーマーケティングは、感情や価値観に訴え、入院不要な治療の利点を具体的な実体験を通じて伝えるのに適した方法であると考えられました。
コンテンツ
小学校教員の実体験を基にした「悪性脳リンパ腫の僕が再び教壇に立てた理由」というテーマのパラパラ漫画を活用した映像を制作し、セミナー開始前に上映しました。入院不要な治療が患者のQOL向上に大きく貢献したことをストーリーとして見せることで、製品の持つベネフィットの強調を図りました。
効果
映像を通じて、医師たちに希少疾患の治療の重要性が伝えられ、患者の社会生活との両立が可能な医薬品のベネフィットに対する認識が深まりました。医師たちは映像で紹介された患者の実体験に共感し、治療の利点を具体的に理解するような姿勢を見せました。その結果、医師たちは患者の状況に応じて積極的にこの医薬品を推薦し、患者へのアドバイスにも活かすようになったという報告がありました。
ストーリーを意識した製薬マーケティングを
患者一人ひとりの背景や生活、症状の実感などは、数字やデータだけでは伝えきれない場合があります。
実際の患者の声、彼らが日常で感じる不安や困難、喜びや希望などの「ストーリー」を通じて、医師は患者の実態をより深く理解し、治療の課題に気づき、より適切な治療を選択するための洞察を得ることができます。製薬業界としても、製品情報を提供する際に、科学的なデータだけでなく、患者の実体験に基づくストーリーを組み込むことで、医師の治療への取り組みをサポートすることができます。
患者のストーリーは、医師と患者の関係をより強固にし、治療の質を向上させる重要な役割を果たします。必要不可欠な「データに基づいたディテーリング」に加え、「ストーリー」を用いた情報提供をマーケティングの一環として取り入れることが、今後の製薬業界における新しいスタンダードとなることが期待されます。
<出典>※URL最終閲覧日2024.3.21
1) 『Significant Objects』プロジェクト, 2009年
https://significantobjects.com/
https://significantobjects.com/2010/10/08/horse-bust-beth-lisick-story/