技術進展、創薬難易度の向上などの環境変化から、治療用アプリや医療AIを発売している製薬企業が増えてきました。今後は、製薬企業が製薬以外の事業に取り組むことが珍しくなくなる可能性は高いと予測されます。本記事では製薬企業の新規事業について、事業内容や現在の進捗状況、さらには「MRやマーケターにとってどのような影響が想定されるのか」について紹介します。
製薬企業の新規事業DXは、すでに展開を始めているところも
大手の製薬企業が取り組む新規事業DXを下図にまとめました 1-7) 。
医療機器や、AI、治療アプリ、VRなど、製薬企業とは思えない治療モダリティ(治療の種類)が並びます。進捗が進んでいる企業では、すでに展開を開始していることも注目です。つまり、すでにマーケティングや営業活動は始まっている製薬企業もあるということです。
デジタル+セラピーを組み合わせた「DTx」とは
このような、デジタル技術を活用して治療行為を実施するモダリティは、デジタル+セラピーを組み合わせて「デジタルセラピューティクス(DTx)」と呼ばれます。DTxの正確な定義はまだまだ曖昧な部分もありますが、以下3つの特徴があります。
- ソフトウェア・ハードウェアを活用して治療行為を行う
- 臨床試験から得られたエビデンスがある
- スマートフォン等のアプリやVR用ソフト、医療AIなどのデジタル技術が活用されている
エビデンスに基づき規制当局からの承認を目指すことも多く、いわゆる健康増進・フィットネスアプリなどとは一線を画します。慢性疾患や精神疾患など治療が長期化し、治療の際に患者自身の行動(服薬遵守や生活習慣の管理など)が重要となる疾患と相性がよく、これまで医薬品だけでの治療が困難であった患者に対する効果が期待されています。
製薬企業が新規事業DXに取り組む理由
なぜ製薬企業がDTxのような新規事業DXに取り組むのか。理由は主に5つ考えられます。
- 技術進展、ベンチャー企業や海外での事例の増加
- 創薬開発の難易度の増加と、薬価制度の改定
- 国内、海外でのデジタルの規制緩和、促進
- 日本における医療費の高騰
- COVID-19による消費者の行動変化
規制当局もDTx等のデジタル技術の開発促進に向けて環境を整備しています。2020年11月に厚生労働省から「プログラム医療機器実用化促進パッケージ戦略」 8) 、2021年3月には新たな「プログラムの医療機器該当性に関するガイドライン」 9) が公表されており、より早く、簡便にDTxなどが開発できるように承認審査制度が整えられつつあります。
製薬マーケターも新しいチャレンジが求められる可能性
製薬企業の新規事業の動きについては、医薬品事業とのシナジーが密接に関わっていると考えられます。製薬企業は医薬品開発のケイパビリティを持っていますが、DTxや医療機器はIT・ヘルステック企業のほうが得意で、協業がメインになります。製薬企業は自社の医薬品と補完しあう形で、ヘルステック企業は自社技術を活用する新しい場として、協業が成立する場合が多いです。例えば、エーザイなら認知症、大塚製薬なら精神疾患など、本業でのコアな疾患領域において、医薬品だけでは解決できないアンメットニーズに対応できる可能性があります。
また、製薬企業が医薬品の候補を持っているバイオベンチャーを買収するケースがありますが、それと比べるとヘルステック企業との協業は、低コストで新しい治療モダリティを獲得できるメリットもあります。
ただし、新しい治療モダリティは市場が受け入れて確立しているわけではありません。これまで通り一辺倒のMRを中心にした営業活動や、Web講演会等を中心にしたマーケティングだけでは広く普及できない可能性もあります。
さらに、対象はある疾患の患者だけでなく、未病状態の一般の方を想定している場合や、患者に処方するのではなく医師ではない医療従事者が利用するケースもあります。そのため、SNSを含めたデジタルマーケティングや患者啓発、ヘルステック企業との協業など、マーケターも新しいチャレンジが求められる可能性が高いでしょう。
アステラス製薬の心電図解析プログラム
続いて、すでに活動している、あるいは今年動きがある3社の新規事業DXについて紹介します。
アステラス製薬と株式会社エムハートは、両社が共同開発したホルター解析装置用プログラム「マイホルターII」の商業化を2021年7月から開始しました。
脳卒中の主要な原因である心房細動は、無症候性や軽度であることが多く、認識されず治療されていないことが多くあります 10) 。患者数は国内で70万人以上存在するとも推計されていますが、現在までに心房細動を早期発見できるデバイスはありません。一方、ホルター型心電図検査で分析する心拍数は約10万拍におよび、大量のデータを解析する医療関係者にとっての負担となり、自動解析の精度にも課題がありました。
医療機器プログラム(クラスII)として認証されているマイホルターIIは、パッチ型心電計である「EG Holter」により取得されたデータを独自のAIを用いて分析します。そのことによって、効率的かつ高い精度で心電図データの自動解析を可能にしました。EG Holterは「小型」「押して貼るだけの簡単装着」「使い切り」という特徴を持ち、患者さんは普段と変わらない生活を送りながら心電図データを取得できます。
EG Holter+マイホルターIIによる効率的な自動解析が可能になったことで、心房細動の早期発見につなげることが期待されます。さらに、この心電図解析サービスはクラウドを活用することによって、医療関係者が場所を選ばずにリモートで解析作業を行うこともできます。
本事例はアステラス製薬が「Rx+事業」と呼んでいる、最先端の医療技術と異分野の先端技術を融合させPatient Journey全体を対象にした事業の一環で、初めて本格的に事業化されたRx+事業になります。
本製品の販売活動にアステラス製薬の既存MRが対応するのか、専任の営業部隊が設置されるか分かりませんが、医療機器であるため、使用する診療科医師や採用を決定する院長などマネジメント層への活動は必須で、ソフトウェアに対する質疑応答や、医薬品とはこれまでと異なった医療制度などの知識も必要になると思います。
エーザイの転倒転落予測AI、認知症予防アプリ
エーザイは、2種類の新規事業をリリースしています。
一つは転倒転落予測AIシステム「Coroban」です。高齢者の入院中において、院内での転倒リスクが課題となっています。医療現場では、患者の転倒リスクを低減するためさまざまな対策を行っていますが、看護業務が繁忙化する中、その対応にも限界があります。
Corobanは入院患者の看護記録を解析し、転倒転落のリスクを予測するシステムで、FRONTEO社の自然言語解析AI技術を活用し、エーザイと共同で開発されました。医療スタッフの負担を増やすことなく、従来の転倒リスク評価シートと同等の精度での予測が可能です。
看護記録のテキスト情報をもとに、医療従事者の「気付き」を拾い上げる特徴や、医療安全業務の質と効率の改善に繋がる可能性が評価され、日本転倒予防学会推奨品に認定されています。
Corobanは医療機器ではありません。病棟の看護師さんを含めて、誰がこのシステムを運用管理するのか施設によっても違う可能性があります。そのため、MRやマーケターは、幅広い院内の関係者に周知活動をしつつも、採用のキーマンと調整が必要でしょう。また、病院だけでなく介護施設での利用も想定されており、新規施設の開拓も必要です。
もう一つは、脳の健康状態を日々測定し、認知症の予防行動を習慣化させることを目的としたスマートフォンアプリ「Easiit」です。DeSCヘルスケア株式会社とともに、2020年7月にリリースしました。
Easiitアプリは、ユーザーの歩数、食事、睡眠などのライフログを元に、「ブレインパフォーマンス(記憶力、思考力、判断力)」の改善に有効とされる習慣行動を数値化し、食事や運動のメニューなどを推奨してくれる機能を持ちます。40代以上のビジネスパーソンをメインターゲットとし、仕事等の質を高めるためにブレインパフォーマンスを改善したいというニーズに応えるサービスです。アプリ開発は、オンラインゲームやスポーツなどコンシューマー分野での実績が豊富な株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)が協力ししました。
しかし、こちらはサービス開始して2年足らずですが、すでにサービス終了のアナウンスが出ています 11) 。先進的な取り組みであったので注目を集めていたものの、終了の詳細な理由はわかりません。ただし、エーザイは認知症領域で治療薬の開発だけでなく、デジタルプラットフォームをベースにした認知症エコシステムの構築を進める方針を出しており、継続的に活動することが想定されます。
塩野義製薬の不眠障害治療アプリ
塩野義製薬はサスメド株式会社が開発した不眠障害治療アプリの日本における独占的販売権を獲得しています。
このアプリは不眠症を対象としたデジタル治療用アプリで、不眠症患者を対象とした第3相臨床試験では対照群と比較して、主要評価項目であるアテネ不眠尺度の有意な改善が認められました
12)
。この試験結果をもとに、サスメドは2022年2月に不眠症のデジタル治療用アプリとして薬事承認申請をしています。
この不眠障害治療アプリは認知行動療法がベースとなっており、個人の認知や行動に働きかけることで病態を改善するという治療法を採用しています。米国内科学会の不眠症治療のガイドラインでは、認知行動療法が第一選択とされています
13)
。
一方、2016年に行われた国連の調査によると、日本におけるベンゾジアゼピン系睡眠薬の消費量は世界で第2位でした
14)
。薬剤に依存しない不眠症治療法の普及は、疾病リスクの低減や生産性向上につながるとともに、治療法の選択肢を広げる効果が期待されています。
まずは睡眠薬を使用している患者さんを対象にこのアプリによる治療への置き換えを検討しているようで、塩野義製薬の既存MRが対応する可能性もあります 15) 。このアプリは処方箋が必要なため、医薬品に近い浸透活動が想定されます。ただし医師も患者も慣れていないモダリティでもあり、保険償還の点数など形式なども今後の要注目ポイントです。
製薬企業が、医薬品以外の営業やマーケティングをする時代へ
技術の発展によって、アプリ、AI、VRなどさまざまな治療モダリティが市場に出始めています。今後、さらにDTxをはじめとした新しい治療モダリティの活用は進むでしょう。
製薬企業も積極的に新規事業DXという形で、医薬品事業ともシナジーも見越した新しい治療モダリティを模索しています。それに伴い、営業やマーケティング活動も新しいチャレンジが始まると想定されます。製薬企業の営業やマーケティングの担当者は、近い将来、業務として関わる可能性もありますので、本記事で紹介したような新規事業DXのニュースをチェックしてみると良いでしょう。どんな動きが始まるか、内容の理解が深まるかと思います。
<参考>
※URL最終閲覧2022/5/25
1)2021.7.16, アステラス製薬株式会社, AIを用いたホルター心電図解析サービスの提供開始(
https://www.astellas.com/jp/news/17076
)
2)2019.9.26, エーザイ株式会社/株式会社FRONTEO, 入院患者様の転倒・転落予測システム「Coroban®」を新発売(
https://www.eisai.co.jp/news/2019/news201973.html
)
3)2020.7.28, エーザイ株式会社/株式会社ディー・エヌ・エー, エーザイ・DeNA 業務提携契約に基づき スマートフォンアプリ「Easiit(イージット)アプリ」を共同提供(
https://www.eisai.co.jp/news/2020/news202047.html
)
4)2022.1.27, 大塚製薬株式会社, 精神科領域におけるVRを用いたソーシャルスキルトレーニングのプラットフォーム構築についてジョリーグッド社と共同開発・販売契約を締結(
https://www.otsuka.co.jp/company/newsreleases/2022/20220127_1.html
)
5)2021.12.27, 塩野義製薬株式会社, 不眠症治療用アプリに関するサスメド株式会社との販売提携契約締結について(
https://www.shionogi.com/jp/ja/news/2021/12/211227_2.html
)
6)2020.8.4, 住友ファーマ株式会社, 大日本住友製薬、損保ジャパン、Aikomi 認知症・介護関連のデジタル機器の研究開発、事業化に向けて連携(
https://www.sumitomo-pharma.co.jp/ir/news/2020/20200804.html
)
7)2021.5.25, 武田薬品工業株式会社, 希少疾患である遺伝性血管性浮腫の早期診断実現を目指すコンソーシアムの設立・運営を支援(
https://www.takeda.com/ja-jp/announcements/2021/DISCOVERY/
)
8)2021.3.31, 厚生労働省, プログラム医療機器の実用化促進のための体制強化を行います(
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/newpage_17760.html
)
9)2021.3.31, 厚生労働省, プログラムの医療機器該当性に関するガイドラインについて(
https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/000764274.pdf
)
10)N Engl J Med 2012; 366:120-129, Subclinical Atrial Fibrillation and the Risk of Stroke(
https://www.nejm.org/doi/10.1056/NEJMoa1105575?url_ver=Z39.88-2003&rfr_id=ori:rid:crossref.org&rfr_dat=cr_pub%20%200www.ncbi.nlm.nih.gov
)
11)2022.5.31, エーザイ株式会社, Easiit関連サービス終了のお知らせ(
https://www.easiit.com/topics/easiit_service
)
12)2021.11.11, サスメド株式会社, 不眠症治療用アプリ国内検証的試験における主要評価項目達成に関するお知らせ(
https://susmed.co.jp/news/post/641/
)
13)Ann Intern Med. 2016 Jul 19;165(2):125-33, Management of Chronic Insomnia Disorder in Adults: A Clinical Practice Guideline From the American College of Physicians(
https://www.acpjournals.org/doi/10.7326/m15-2175
)
14)International Narcotics Control Board, Psychotropic Substances 2016(
https://www.incb.org/documents/Psychotropics/technical-publications/2016/Technical_Publication_2016_English.pdf
)
15)2022.2.14, サスメド株式会社, サスメド株式会社2022年6月期決算説明会(
https://finance.logmi.jp/376863
)