近年ビジネスで注目されているキーワードの一つに、デジタルトランスフォーメーション(以下DX)があります。製薬業界でも、この数年の間でDXに取り組むことを明らかにしている企業が増えてきました。DXを駆使して自社医薬品の売上アップを図るためには、プロマネもDXに関わらざるを得ません。
今回は、プロマネにとってのDXを考えてみましょう。
DXの定義とは?
今話題のDXには、定義があることをご存じでしょうか?
DXを初めて提唱したのは、ウメオ大学(スウェーデン)のエリック・ストルターマン教授です。ストルターマン教授は2004年に、「われわれ人間の生活に何らかの影響を与え、進化し続けるテクノロジーであり、その結果、人々の生活をより良い方向に変化させる」という概念をDXとして提唱しました。
日本でも、経済産業省が2018年12月に「デジタルトランスフォーメーションを推進するためのガイドライン(DX推進ガイドライン)」 を公表しています。こちらではDXを 「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」 と定義してします。
以来、日本国内でも多くの業界がDXを導入し、自社のビジネスを発展させようとして、数多くの取り組みが進んでいる状況です。製薬業界でも同様の動きが見て取れます。製薬企業内のDX推進室の設置やDX担当者の採用などが進んでいます。
DXの先行事例―スターバックスの中国での取り組み
DXの先行事例は、2021年時点では海外、特に中国やエストニア、アメリカの大都市などのケースが多くみられます。
身近な事例としては、中国におけるスターバックスの取り組みが挙げられます。スターバックスは2019年に、大幅に業績を伸ばしました。その理由は、スターバックスがDXを駆使して中国の商習慣に適応していったからです。
日本を含む世界各国のスターバックスは、その店作りの際には、お客さんがくつろげる空間を作ることを大切にしています。皆さんもご存じの通り、店内にコーヒーの良い香りが広がるようにコーヒー豆を店内で焙煎したり、ゆっくり座れるソファを用意したり、長時間のパソコン作業をするお客さんのためにコンセントを多数設置したり、会計時には正確に現金を受け渡して丁寧に接客するなど、お客さんのために居心地の良い空間作りにこだわっています。スターバックスが中国に進出した時も、この店作りは変わりませんでした。
ところが、これらのスターバックスの取り組みは、中国の人たちには受け入れられませんでした。その結果、スターバックスは2017年まで、中国でのビジネスで大苦戦を強いられたのです。それはなぜだったのでしょうか?
スターバックスが中国で大苦戦した理由
スターバックスが中国で大苦戦した理由は、「スターバックスのサービス全体が、中国における中国人の購買行動に合致しなかったから」です。
中国ではコーヒーはお店で楽しむものではなく、気軽にテイクアウトする飲み物、もしくはデリバリーしてもらう飲み物です。お店に長居することはあまりありません。
また、現在の中国の買い物は、ほぼスマートフォン決済です。2019年の中国の人口が約14億人、インターネット人口が8億人、そのうちスマートフォンユーザーが97%、都市部のスマートフォン決済ユーザーは98%です。中国人にとってスマートフォン決済は日常生活の一部であり現金をほとんど使わない生活なので、スマートフォン決済ができないサービスは利用されません。
そのため、中国ではコーヒーを注文する時、スマートフォンのアプリであらかじめ飲みたいコーヒーを注文し、スマートフォン決済を済ませ、自分で店にコーヒーを受け取りに行くか、デリバリーしてもらうことがほとんどです。
中国のお客さんの購買行動を理解せず、自分たちのサービスの提供にこだわったスターバックスが苦戦したことは、当然の結果でした。顧客を理解しなければ結果を出せないということは、製薬業界でも通じる、非常に大切な売上アップのためのビジネスのアプローチです。
中国で成功するためにスターバックスが手掛けたこと
この状況を打開するために、スターバックスは様々な取り組みで変革を行いました。中国の商習慣に対応するために、スターバックスでのコーヒーの注文とスマートフォン決済ができるアプリを開発・提供しました。スターバックス専門のコーヒーのデリバリーも用意しました。店舗はお客さんが集まりやすいところに出店して、コーヒーを受け渡ししやすくしました。これらの打ち手を検討するために、アプリからお客さんの購買行動など様々なデータを収集し、お客さんのインサイトを分析し、お客さんの利便性を徹底して高めることをやり続けたのです。
これらの取り組みによって、2019年のスターバックスの連結決算の売上は265億ドル、経常利益は47億ドル、当期純利益は35億ドル。前年と比べると売上は7%を増加しました。この業績をけん引した国は、中国でした。
このように、スマートフォンやアプリなどのデジタルツールを駆使し、顧客の利便性を高め、顧客データや購買データ、行動データを収集・分析することで、顧客のニーズに合致する製品やサービスを最適なタイミングで提供できるようになります。
そのためのデジタルプラットフォームを導入・活用することで業務を変革し、ビジネスを発展させる一連の取り組みがDXです。
DXの目的は「最高の顧客体験を提供し続ける」こと
しかしながら、製薬業界を含む多くの業界・企業において、DXへの理解が不十分なままDXを導入することを現場に丸投げしている経営陣が多いのではないでしょうか。これらは前述のスターバックスのようにDXで成功した事例を見聞きすることで、経営陣が「DXをやれば売れる」と誤解することから生じているようです。
また、経済産業省がDXに関する検討資料を積極的に提供していますが、それらの資料にはDXの取り組みの遅れによるビジネスの損失の可能性を指摘しているものもあるため、経営陣が危機感を持って焦るあまり、DXで大切なことを見落としている可能性もあります。
誤解の結果として「DXを導入しても売上は上がらない。コストがかかり、負担が増えただけだった。もううちではDXはやらない」といった損失が引き起こされることもあり得るでしょう。
DXに関わるプロマネとして絶対に間違ってならないのは、DXを導入すれば売れると考えるのではなく、 自社製品が売れるようにDXをデザインし、顧客の行動データを収集し、そのデータに基づいて顧客が置かれている状況(インサイト)を理解し、顧客が必要とする製品やサービスをタイミングよく提供し、顧客の利便性を高め続ける ことが重要だと理解することです。
DXの目的は、
最高の顧客体験(ユーザーエクスペリエンス(以下UX))を提供し続けること
です。
この点を正しく理解しないと、DXを「社内のシステムを連携する」とか「業務を人からデジタルツールに置き換えるだけ」といった誤解が生じます。これらはあくまでもDXの取り組みの一部にしかすぎません。
DXを導入しないことで生じる損失―2025年の崖
経済産業省の資料によれば、現状の企業のIT環境のままでDXが導入できないでいると、2025年以降、最大12兆円/年(現在の約3倍)の経済損失が生じる可能性があることが指摘されています。経済産業省はこれを2025年の崖と呼び、企業のDXへの取り組みを促したい考えです。
現在は多くの経営者が、将来の成長、競争力強化のために、デジタル技術を活用して新たなビジネスモデルを創出し、柔軟に改変するDXの必要性について理解しています。しかし、 「既存システムが、事業部門ごとに構築されて、全社横断的なデータ活用ができない」 、 「過剰なカスタマイズがなされているなどにより、複雑化・ブラックボックス化している」 ことにより、 データ活用のために既存システムの問題を解決しなければならず、そのためには業務自体の見直しも求められる ため(これはまさに経営改革そのものです)、 現場サイドの抵抗も大きく、いかにこれを実行するかが課題 となっています。さらには、日本はDXに精通した人材が不足しています。これらがDX推進の主たる課題です。
一方、中国でのスターバックスの事例にもあるように、海外ではすでにDXを導入し、ビジネスで大成功を収めている企業がたくさんあり、日本企業と比較して競合優位にある企業も多くみられます。
製薬業界でも、一部の外資系製薬企業はデジタルツールの積極的な導入と活用を取り組んでおり、ビジネスにも好影響を与えています。
これらのことから、日本政府や経済産業省も、日本の産業が衰退しかねない現在の状況を日本経済の危機とみているようです。そして企業の経営者から現場に至るまでが、DXの新たな取り組みをせざるを得ない状況となりました。
DXとプロマネの関わりは?
今後、日本の企業が世界を相手にビジネスを展開していくには、DXは欠かせません。
前述のとおり、DXは
「データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革し、競合優位を確立する」
ために導入します。ですから、製薬企業ならプロマネもDXのキーパーソンの一人です。プロマネの場合は、DXを駆使してデータを収集し、医師のインサイトを探究し、最善の一手を繰り出すことが求められるでしょう。
そのためにプロマネは「マーケティングやプロモーションのプラン策定の際、どのようなデータが必要か、どのようなアウトプットのデータを出したいのか」などを、明確にすることが求められます。これは多くの場合、DXのシステム構築や導入を検討する時期(要件定義)に行われます。プロマネがDXの会議に召集されるのはこのタイミングが多いでしょう。
プロマネもDXについて正しく理解し、企業の方針を踏まえつつ、「将来の望ましい自分たち」を作っていくことが求められます。
では、プロマネはDXに対してどのような関わり方が求められるのでしょうか?
次回は、プロマネがDXユーザーの立場から考えておくべきマーケティングの視点を整理し、実務に活かせるDXの導入と活用のポイントを紹介します。
※「プロマネにとってのデジタルトランスフォーメーション(DX)とは? -実務編-」は3月下旬公開予定です。
【参考】
・「デジタルトランスフォーメーションを推進するためのガイドライン(DX推進ガイドライン)」 2018年12月/経済産業省
https://www.meti.go.jp/press/2018/12/20181212004/20181212004-1.pdf
(2021年3月2日閲覧)
・『アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る』 藤井 保文、尾原 和啓、日経BP、2019
・『アフターデジタル2 UXと自由』 藤井 保文、日経BP、2020
・デジタルトランスフォーメーションレポート ~ITシステム「2025年の崖」の克服とDXの本格的な展開~/経済産業省
https://www.meti.go.jp/press/2018/09/20180907010/20180907010-1.pdf
(2021年3月2日閲覧)