当時、すでに訪問規制を敷く施設も増え、医師への接待などはできなくなっていました。そんな環境の中でも上手に医師との接点を作るMRがトップクラスの成績を出せば、一躍武勇伝として取り上げられました。
この上長は、そんな現場の工夫こそが大事で、本社であれこれと考えることに煩わしさやジレンマを感じていたに違いありません。心の底からの本音を自分の前で思わず呟いたのだとすれば、海外の本社や国内の経営幹部からの執拗な追求に晒されて大きなストレスが溜まっているのだろう、と。
ですが、いまもこのセリフがココロのどこかに刺さっていて、みなさんから同じ様な質問を受けると妙にチクリとします。そして必ず答えなければならないと感じます。それは、この疑問への回答が「マーケティングとは何か」「医薬品マーケティングはどうあるべきか」という、とても本質的なマーケティングの理解に道筋を与えてくれると考えているからです。
「良い製品」って何だろう
製薬産業にいると「良い製品」を出すことは
製薬企業の最大の使命
だという声をよく聞きます。特に異論はないのですが、ここでいう「良い製品」の「良い」とはどんな意味を持っているのでしょうか。
「
良い薬」の代表格、ファースト・イン・クラス
まず良い薬の代表格としてイメージできるものに「画期的な作用機序で市場で初めての薬」、いわゆるファースト・イン・クラスがあります。
例えば脂質異常症治療薬のプラバスタチンやアルツハイマー治療薬のドネペジルは、それまで小さかった市場を一気に拡大するほどのパワーがありました。C型肝炎治療薬のソホスブビルや免疫チェックポイント阻害薬のニボルマブの市場へのインパクトは、それまでの治療法を塗り替えるほどでした。ましてや、そのファースト・イン・クラスの薬がこれまで治療法がなかった疾病領域における初めての治療薬であれば、当然ながら市場の期待も非常に大きくなります。
そのため、ファースト・イン・クラスを出せば成長は確約されている、と考えるのは自然かもしれません。新薬を扱う製薬会社なら、創薬への挑戦の優先順位のトップにファースト・イン・クラスの創造が入っていると想像できます。
ファースト・イン・クラスを脅かすセカンド・イン・クラス(二番手参入製品)
一方で、優れた研究開発の結実として世の中に登場したファースト・イン・クラスの製品よりも、セカンド・イン・クラス、二番手参入製品の方が有効性や安全性の面でも改善されていて、成長が大きいケースも多くみられます。
例えば、ARBがその一例かも知れません。理由の1つとして考えられるのは、一番手製品は農作で畑を耕すことから始めるようにコツコツとユーザーに新しさの意味を伝える必要があるのに対し、二番手製品では一番手が耕してくれた畑に品種改良した種(製品)を植えることから始められるという優位性があります。
つまり、いろいろな実例を見ていると、必ずしもファースト・イン・クラスの成功が約束されている訳ではないことに気づきます。
本来、良い製品が有するべき要素
長年にわたり、ある領域で製品を提供していると、「良い製品とはこういう製品だ」という信念が確立されていきます。しかしながら、その信念に従って作っても売れないケースがあります。では、良い製品として受け入れられるためには、どんな要素が含まれているべきなのでしょうか。
自分達視点の良い薬
「良い薬」というとき、マーケティングやセールスなら、積極的に製品を選択してもらうために臨床的な有用性の高い薬を望むかもしれません。研究や開発なら薬理学的な革新性や独創性に優れた薬が気になるかもしれません。もちろん、この2つの要素が重なった製品を手にできるなら、社内は喝采と将来への期待に満ちるに違いありません。ただ、ファースト・イン・クラスでも成功が約束された訳ではなく、期待ほどに売れないこともあります。それは大抵「ある視点」が欠けているからなのです。
ユーザー視点の良い薬
実は、「良い薬」を探し求めるときに忘れてはならない重要な視点があります。それは「ユーザー(医師や患者さん)にとって、どんな薬が良い薬なのか」という視点です。
仮に、社内のマーケティングやセールス、研究や開発が考える「自分達視点」の良い製品を市場投入できたとしても、どれだけの医師や患者さんがその商品に満足感を覚えるかは未知数です。自分達視点で「良い薬」を探し続けた結果が三番手製品や四番手製品だったら、苦戦を強いられることは想像に難くありません。
でも、ユーザーが感じている課題を解決する製品ができたならば、確実にユーザーはその製品に満足を感じるはずです。
良い薬の第一歩はユーザーの課題を知ること
ユーザーの感じている課題をもう少し具体的に示します。例えば、ある病気には治療の手立てがないという課題であれば、ピカ新の薬は「初めての治療法」という解決策になります。あるいは、注射を打つために遠くまで不自由な体を引きずって病院に通わなければならないという課題であれば、通わなくても打てる薬、つまり自己注射薬や経口薬などが解決策になります。
早稲田大学大学院の入山章栄教授はとてもシンプルに「マーケティングとは顧客の課題を解決することで、課題とは理想と現実のギャップのことだ」と述べています
1)
。製薬企業がその役割を果たすために顧客の課題を知ることは、良い薬を提供するために一番大事なファーストステップになるはずです。
そして顧客の課題を知るステップで、もう1つ忘れてはならないことがあります。それは、医薬品の顧客の一方にはそれを治療のための道具として利用する医師がいますが、もう一方には最終的にその製品の使用によって健康を守ってもらう患者さんがいるということです。
製薬産業にいると、どうしても処方をする医師のニーズや課題が気になる傾向が強いのですが、先ほど示した課題は、実はいずれも患者さんの課題です。ですから、製薬企業が良い薬を出すためには医師や薬剤師だけでなく、患者さんも含めて課題を把握することが重要で、
ユーザーの課題を知ることが良い薬を考える入り口になる
のです。
ユーザーとのWin-Winを考えるマーケティング
良い薬を作って多くのユーザーに使ってもらうためには、何らかの働きかけが必要になります。この点でもマーケティングとセールスのどちらを志向すべきか、という議論が起きることがありますが、両者の違いはどこにあるのでしょうか。
製薬マーケティング不要論の裏返し
マーケティングが要らないという意見を唱える人の多くは、逆説的にセールスがしっかりしていれば売上は上がって目標は達成できる、という意見を持っています。これは一面では当たっています。
モチベーションが高く、営業相手の心情を的確に読み解き、欲しそうな情報を素早く届けるようなセールスパーソンは、業界を問わず重宝がられるのもその証拠です。そんなセールスパーソンが何人もいれば、確かにセールスは上がり目標達成も難しくないでしょう。
でも、いまはセールスが期待通り上がっていて自分達が満足な状況だとしても、いずれはマーケティング志向のある企業に追い越される可能性は小さくありません。
セールス志向とマーケティング志向
マーケティング志向のある企業に追い越されると考える理由は、マーケティング志向のある企業はユーザーの課題解決を第一に考えるため、ユーザーの満足を得る確率が高いことにあります。言い方を換えると、セールス志向の企業は自分たちの利益(WIN)を第一に考えますが、マーケティング志向の企業はどうやったらユーザーが自社の製品やサービスから価値(WIN)を得られるかを第一に考えようとするからです。
したがって、マーケティング志向の企業であればあるほどユーザーと自社の間にWIN-WINが成り立つことになります。