話題のUXグロースを製薬マーケティングに活用するには?|#2 UXグロースに着手する際の準備と注意点

話題のUXグロースを製薬マーケティングに活用するには?|#2 UXグロースに着手する際の準備と注意点

UX(ユーザー・エクスペリエンス:顧客体験の最大化)でビジネスを成長させるアプローチとして『UXグロース』が注目されています。本コラム第1回で紹介した以外でも、他の業界での成功事例などが広く知られるようになってきました。
とは言っても、UXグロースに興味があってもどこから着手すれば良いのか分からない方もいらっしゃるのではないでしょうか。そこで今回は、UXグロースに着手する際、どのような準備や注意が必要かを一緒に見ていきましょう。

UXグロースの着手時に陥りがちな落とし穴

UXについては、UXの提唱者であるドナルド・ノーマン博士が、1995年の論文や講演、インタビューなどで「すべての体験がUXである」1, 2)と断言しています。

第1回でご紹介したように、そのUXをうまくビジネスに活かすことによって、日本でも賃貸住宅仲介業のアットホームやスポーツ用品メーカーのアシックスといったさまざまな企業がビジネスを成長させています。

日本の企業がUXにどれくらい興味があるかを調べた調査は見つかりませんでした。しかし、現時点では具体的な企業やその取り組みの事例を見聞きすること自体が増えているため、UXに興味を持ち始めた企業もかなり増えている印象を筆者は持っています。

筆者が「UXグロースでビジネスを成功させたい!」とお考えの方々と話し合うと、多くの場合「どういうシステムにしたらUXグロースがうまくいきますか?」「おすすめのデジタルツールは何ですか?」などの質問をいただきます。

実は、このアプローチではUXグロースは成功しません。なぜなら、最初に取り掛かるべきなのはシステムやツールの検討ではないからです。

この記事では、UXグロースに取り組む際の心構えや注意点を4つ解説します。

  • UXグロースの初手は「全社でUXグロースに取り組むと決める」こと
  • UXグロースは、部門横断的に行う取り組みごとである
  • UXグロースは、トップダウンとボトムアップを行き来する
  • 全社でUXグロースのための定義付けをする


UXグロースの初手は「全社でUXグロースに取り組むと決める」こと

UXグロースは、UXすなわち顧客にとって最高の顧客体験を提供することで、ビジネスに好循環を生み出し、ビジネスを成長させる取り組みです。そのためには関係部署は社内の1部署にとどまりません。全社で取り組まなければ、UXグロースを成功させることは難しいでしょう。

UXグロースに着手する際の初手は、『全社でUXグロースに取り組むと決める』ことです。

多くの企業では、UXグロースに取り組む際に、特定の部署や担当者に全てを丸投げして任せっきりにしてしまい、いつまで経ってもUXグロースがうまく進まないという事態が見受けられます。これはUXグロースだけでなく、DX(デジタル・トランスフォーメーション)の取り組みも同様です。

これらはいずれも、『全社でDXやUXグロースに取り組む』と決めなかったから起こったことです。私たちは、このような事態に決して陥らないようにしましょう。

UXグロースは、部門横断的に行う取り組みごとである

次に行うことは、顧客にとって最高の顧客体験を提供することに関係がある部署が全て集まり、全社で部門横断的に取り組むプロジェクトとして立ち上げることです。

顧客に価値を提供するのは、MRやメディカルアフェアーズ、プロダクトマネージャーだけではありません。その担当者が顧客に喜んでもらえるように、さまざまなサポートを行う部署も重要な役割を持っています。顧客を医薬品卸も含めて考えれば、製薬企業の医薬品卸販売担当者も顧客に価値を提供します。

医療従事者からの問い合わせの電話に対応するコールセンターの担当者も、丁寧な顧客とのやりとりと最適な回答の提供を通じて、顧客に最高の顧客体験を提供しています。現在の製薬企業なら、カスタマー・エクセレンスなどの部署やデジタルチャネルの担当者も、もちろんUXグロースに深く関わっています。

このように、UXグロースとは部門横断的に全社で取り組むべきことです。
したがって、UXグロースは特定の部署や担当者だけに任せるのではなく、それぞれの部署が他の部署と目線合わせをしながら取り組む必要があります。

UXグロースは、トップダウンとボトムアップを行き来する

全社でUXグロースの目線合わせをするにあたって、重要なことがあります。
それは、UXグロースにおいては、トップダウンのUXグロース活動とボトムアップのUXグロース活動があり、相互に循環するということです。

UXグロースは全社の取り組みなので、経営陣の立場で考えるUXグロースと、実務担当者レベルで考えるUXグロースがあります。

経営陣から見たUXグロース

経営陣の立場でUXグロースを考えるならば、自社が中長期的に顧客に最高の顧客体験を提供するために、「顧客がどのような体験をすれば自社にとっての優良顧客になるのか」という顧客のジャーニーを考える必要があります。これは企業の上位職だからこそ取り組むべきことです。

UXグロースが自社のミッション&ヴィジョンに合致しているかの評価、自社のケイパビリティや競合との比較分析、事業の将来性などの検討は、経営陣がやらなければならないことですから、この取り組みも当然です。

そして、そのために自社内に欠けている仕組みなどがあれば、それを埋める意思決定をすることが仕事になるでしょう。まさにトップダウンでなされる取り組みです。

実務担当者から見たUXグロース

実務担当者レベルでUXグロースを考えるならば、顧客とのタッチポイントの品質を高め続ける必要があります。場合によっては、新たなサービスやツールなどの情報収集と選定、そのための上申なども必要でしょう。

そしてその積み重ねによって、いつの間にか自社のUXグロースの取り組みがさらに一歩押し進められていることが理想です。これがボトムアップで取り組むUXグロースです。

このように、部門間を超えるだけでなく、組織の階層も超えて「顧客にとって最高の顧客体験を提供する」ために全社で取り組むことが、UXグロースの成功の秘訣です。

全社でUXグロースのための定義付けをする

全社でUXグロースに取り組むと決め、部門横断的・階層横断的なプロジェクトを立ち上げたら、その企業が何のためにUXグロースに取り組むかの理解を深め、目線を合わせる必要があります。

そのために効果的なのは、自社がUXグロースに取り組むゴールの「定義付け」です。

定義付けとは?

具体的には、「顧客は誰で、その人にどのような価値を提供するのか?」を定義付けし、誰もが同じことを言えるようにすることです。

そして、この定義付けに関連するように、「その顧客にこのような価値を提供するために、自分たちの部署は○○に取り組む」と、その後の取り組みを明確にします。

1.定義付け
「顧客は誰か?その人にどのような価値を提供するのか?」

2.取り組みの明確化
「その顧客にこのような価値を提供するために、自分たちの部署は○○に取り組む」

逆に、UXの根本である「最高の顧客体験とは何か?」を明確に定義できなければ、顧客に提供する価値はもとより、価値を届ける最適なアプローチ方法も明確にできません。結果として何を導入するのか、私たちは何をしなければならないのか?を検討できないということになります。これはプロジェクトマネジメントとしては致命的な問題です。

そのため、「我々にとっての顧客は誰で、その人にどのような価値を提供するのか?」を定義付けすることは、極めて重要なのです。このUXグロースのプロセスを、絶対に外してはなりません。

なぜ定義付けが重要なのか?

この定義付けを明確にすることは、UXグロースを進めていく際に、さまざまなメリットをもたらします。

1.顧客とのタッチポイントで何を提供するかが明確なので、顧客に明確な価値も届けやすくなる

第1回では、アットホームのアプリやアシックスのRunkeeperなどのアプリを紹介しました。アプリを利用する人たちは、アプリで物件を探したり、ランニングを楽しんだりするときに、ストレスのない操作で簡単にやりたいこと(目的)を達成でき、さらにお得な情報まで得られ、新たな世界を見たり、新たな自分を発見することができています。

そのような素晴らしい経験をした人が一度顧客になれば、近い将来優良顧客になっていきますし、SNSで良い口コミを広めてくれたり、自社のフォロワーとしてプロモーションを後押ししてくれるようにもなります。新サービスの開発時にモニターとしてさまざまな意見やアイデアを提供してくれることもあるでしょう。

これらの状況は、顧客とのすべてのタッチポイントで何を提供するのかが明確になっているからこそ、初めて実現できます。

2.サービスやアプリなどの開発の効率が良くなる

アットホームでもアシックスでも、それぞれのアプリの開発において、「誰が顧客で、その顧客に自分たちは何を提供するのか」を明確に定義付けしています。
それが明確なので、企業側もアプリの開発におけるブレや迷いが少なく、効率良く進めることができます。
結果として、いち早く市場に新たなサービスを提供でき、場合によっては先行者利益も享受できるでしょう。そして、市場からの反応を他社に先駆けて知ることができ、自社のサービスの改善も早急に行えるようにもなります。
UXグロースで他社と差をつけている企業は、いずれも上記のようなスピード感ある取り組みができています。

3.定義付けされた『価値』と『顧客』から発想すると、自社に最適なメッセージや仕組みなどが考えやすくなる

さまざまな業界で同様に起こり得ることですが、成功事例をリサーチして、その手法やサービス、技術などをそのまま真似しようとする企業が多く見受けられます。これもプロジェクトがうまくいかなくなる典型例です。

  • 業界内の先行事例をいつまでも探し続けて終わらないということに陥る
  • 先行事例通りに進めているつもりだが、実態はプロジェクトが立ち往生してしまっている
  • プロジェクトの停滞を、システムや導入しようとしているツールやそのベンダーのせいにしている

このような事例が多数散見されます。

多くの業界で、自社にフィットしない他社のUXグロースの成功事例を、無理やり自社に当てはめようとする企業も見受けられます。

私たちが考える課題や目指すUXグロースが他社と同じということは、現実的にはあまりありません。企業ごとに置かれている状況や課題、投入できる予算額や人数などが違うのですから、当然です。

労力と時間とコストを浪費してしまうことは、自社の財務状況を悪化させてしまうため何としても避けなければなりません。それがうまくできていますでしょうか。筆者の経験では、DXやUXグロースがうまくいっていない企業では、「誰が顧客で、その顧客に自分たちは何を提供するのか」が不明瞭で、人によって言うことが異なるという状況が多いように感じます。

製薬業界に限らず、多くの業界で『成功事例の横展開』といった表現を見聞きしますが、これがプロジェクトの停滞や遅延の原因の一つかもしれないということを、私たちは直視する必要があるかもしれません。

UXグロースを始めるための下地を丁寧に作り込むことが、UXグロースの成功の基礎

ここまでしっかりと自社内を整えることができれば、UXグロースを推し進めるための具体的なメッセージとサービスの開発、その実践のためのシステムやツールおよびアプリなどの開発ができるようになります。

それらの取り組みについては、次回以降で改めてお伝えいたします。
それまでに、今回ご覧いただいた内容について、皆様の企業がきちんと取り組めているかを振り返っていただき、改善すべきところがあれば然るべき手を打って、UXグロースで成長する下地を整えていただければ幸いです。


参考文献
1)Donald Arthur Norman, What You See, Some of What's in the Future, And How We Go About Doing It: HI at Apple Computer (https://www.researchgate.net/publication/202165701)
2)Peter Merholz, Peter in Conversation with Don Norman About UX & Innovation (https://web.archive.org/web/20160314154257/http://adaptivepath.org/ideas/e000862/)
3)藤井保文 小城崇 佐藤駿, 日経BP, 2021,『UXグロースモデル』