医薬品市場でのCX創造のためのソーシャル・リスニングとデザイン思考の応用|#5 患者の声から解決策を探る「共感ワークショップ」
この連載では、ソーシャル・リスニングとデザインシンキングの思考法を繋ぎ合わせたプログラム「ペイシェント・リーダー®」を活用して製薬企業のマーケティングサポートに携わってきた経験をもとに、ペイシェント・セントリックな顧客体験(CX)を創造するための重要なプロセスを解説します。第5回は「患者さんの声をペインの把握と解決策の考察へ導く、共感ワークショップ」がテーマです。
(トランサージュ株式会社 代表取締役 瀧口 慎太郎)
【連載第5回】患者さんの声をペインの把握と解決策の考察へ導く、共感ワークショップ
前回まで、ソーシャルリスニングによる患者さんのリアルな声の可視化と、そこからの重要な課題仮説や課題解決法の考察の可能性についてお話ししてきました。しかし、こうしたさまざまなアプローチができる有意義な患者さんのリアルな声ですが、ただ調査会社のレポートを手にして、あとは環境分析やSWOT分析のテンプレートに放り込むだけでは、コストや労力も無駄に近くなってしまいます。
今回は、可視化した患者さんの声を十分に活かし、アンメットニーズやペインの把握や課題解決策の考察に繋げるために、わたしたちがとても大事にしているプロセスである「共感ワークショップ」についてお話ししたいと思います。
プライマリー領域疾患とは異なる情報ニーズがあるスペシャリティ領域疾患
いま、多くの製薬企業における開発品のフォーカスは、かつてのプライマリー領域からスペシャリティ領域にシフトしています。このシフトは創薬モダリティーの進展とパラレルで、近年ではスペシャリティの中でも従来は脚光を浴びにくかったさまざまな希少疾患にも、フォーカスが当たり始めました。
ただ、スペシャリティ疾患では、臨床医家にとって診断や治療シーンにおいて予測不能な事柄やEBMで推奨されたゴールドスタンダード医療が必ずしも奏効しないケースなど、プライマリー疾患とは勝手の違うことが数多く発生します。
希少疾患であれば、患者さんが極めて少ないために専門診療科の医師でも症例経験がなく、適格な診断が非常に遅れるケースもしばしば発生しています。難治性疾患で治療選択肢が複雑であれば、病期や併発症、年齢や経済力、身体や精神状態、同居家庭など、担当する患者さん個々の背景や事情の違いによって選択できる治療法が制限されるケースも少なくありません。
このことは、製薬企業が提供すべき情報の範囲と密接に関係してきます。例えば、医師なら診療科を問わず認知しているはずのプライマリー疾患であれば、基本的な疾患情報は必要ありませんでした。そのため、その疾患の既報情報を省略して、薬剤の効果・安全性や疫学試験の結果といったエビデンスについて語るだけでも十分な説得力を持ちました。
しかし、希少疾患ともなれば医師の疾患自体への認知も低いため、疾患の疫学や症状、診断などを含む基本情報がとても重要になります。また、薬剤の紹介に関しても、個々の患者さんの背景によって治療選択肢が多岐にわたり得るために、プライマリー疾患以上に幅広い情報が求められるはずです。
例)希少疾患で必要な情報提供
- 奏効が予想される患者タイプや効果不十分が想定される患者タイプ
- 予想される効果の発現時期や効果の程度
- 既存の治療法とのすみ分けや併用法
- 注視すべき副作用の発現時期と影響度
- 副作用への対処法
- 障がい者認定や高額療養費などの対象となり得る経済的支援制度
- 薬の貯法や運搬法
など
医師が求める医療関連情報と患者さんの悩みのオーバーラップ性
製薬企業が提供すべき情報の範囲は、一義的には医師が求める情報です。しかしながら、医師が求める情報のほとんどは、患者さんが求める情報とオーバーラップします。実際に、患者さんの多くは自分のようなタイプにはどの薬が効くのか、どんな副作用が現れやすいのか、どんな環境下で薬剤が奏効または減弱しやすいのか、予後はどのくらいなのか、など医師も明確には答えられないことに毎時毎日悩み続けています。
考えてみれば当然なのですが、医師の役割は担当している患者さんの健康を改善することです。ですから、患者さんからいろいろ訊かれてわからないことや悩むことに対して、少しでも頼りになる情報が欲しいと思うのはヒトの心情です。医師が仕事上でやりがいや幸福感を感じる瞬間は、患者さんが笑顔になることと直結しています。
もし医師が欲しがる情報がわからないと悩んでいるならば、最も手取り早い解決策として患者さんの感じている疑問や悩みを可視化してみることをお勧めします。
調査レポートからのコピペで満足するテンプレート・シンドローム
いろいろな会社のマーケターの方々とお話ししていて、時々「もったいないな」と感じることのひとつに、調査結果の活用があります。そのもったいない活用法の典型的なケースが、「調査会社による報告会に参加して、ブランドプランのテンプレートへのコピペ用に調査会社による分析レポートを電子データで受け取る」というパターンです。
最近では、多くの製薬企業でブランドプラン構築のためのテンプレート・モジュールが用意されています。テンプレートの名称やレイアウト、モジュール中の順番などは会社によって異なりますが、考え方の多くは共通しています。市場環境や顧客認識や行動がどうなっているのか、製品を成長に導く機会と課題はどこにあるのか、ターゲットとなる医師や患者さんにどこでどんなブランドイメージを形作りたいのか、機会を活用し課題を乗り越えるための打ち手は何か、といった内容です。
このテンプレートにはさまざまな問いがあらかじめ記載されていますが、医師調査や患者調査のレポートの記述は、その問いにうってつけな回答になります。ですから、調査レポートの中からテンプレートの該当箇所にコピペをすることで、テンプレートはそれなりに立派に出来上がることになります。
こうしたパターンを、わたしたちはある種の皮肉を込めて「テンプレート・シンドローム」と呼んでいます。
テンプレート・シンドロームに陥らず、アンメットニーズやペインを把握するために
時間的な節約を考えれば、調査レポートからのコピペそのものが良くないとは言いきれません。ただ指摘したいことは、調査会社の分析結果をただ鵜呑みにするのではなく、その結果から自分なりに、なぜこういう結果になっているのだろうか、どういった背景があるのだろうか、どんなニーズがあるのだろうか、といったことをしっかり考察することが大切だということです。
調査結果に記載がある内容は、調査の質問によって引き出された調査対象者の発言や行動結果であり、顕在事実です。一方で、アンメットニーズやペインは、顕在化されにくく潜在していることが一般的です。それらは、報告会での調査結果に関する質疑応答やレポートを読むことだけで把握できるものでもなく、自らが額に汗して考えることが大事です。顧客のインサイトを把握するためには、「この人たちは、どのような気持ちでその発言をしているのか」「どんな考えがあってその行動をとったのか」など、相手の立場に身を置いて感じ取ることがまずは必要だと考えています。
デザイン思考は「共感」と「定義」から始める
21世紀は、変化が激しく、多様性が増し、複雑化し、先行きが見えにくい、VUCA※1の時代だと言われます。ビジネスではこれまで以上にイノベーションが求められる一方、VUCA的な時代背景の中では従来のロジカルシンキング的な発想だけでは適切な解を見つけづらくなりました。そこで脚光を浴びるようになったのがデザイン思考です。デザイン思考は、現状を“ユーザー視点で”より良い状態に変えるための思考方法です。
※1 VUCA:Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の4単語の頭文字による造語。不確実性が高く将来の予測が困難な状況であることを指す。
ロジカルシンキングでは、事実を元にMECE※2に精緻に考察を進めます。したがって分かりやすさはありますが、結論が枠の中に囚われがちでイノベーティブになりにくい側面があります。
一方で、デザイン思考はロジカルシンキングの様に一直線に思考プロセスを進めるのと違って、発散と収束でジグザグを繰り返すという思考プロセスであったり、トライアンドエラーを推奨するなどで、大胆でイノベーティブな発想が生まれやすい性質があると言われます。
※2 MECE:Mutually Exclusive and Collectively Exhaustiveの頭文字による造語。全体として漏れがなく、かつ互いに重複しない状態を指す
いま求められているイノベーションとは現状の社会により良い価値を生み出す新たな取り組みのことですので、デザイン思考そのものがイノベーションの意味合いに合致していると言えます。
デザイン思考の5つのステップ
デザイン思考は、5つのステップから成り立っています。
- 共感
- 定義
- 発想
- 試作
- 試行
①や②は市場環境分析、そして③以降が戦略や戦術考察に似た意味合いを持っています。ここで注目してほしいことは、最初のステップが「共感」になっていることです。
マーケターの方々とのお話しの中で「どんなプロモーションが良いのか」「どんなアクションがより革新的で効果的なのか」といった戦術に関する質問を受けることがあります。そんなときは大抵「どこにどんな課題やニーズがあるのですか」という質問をします。なぜならば、マーケティングはユーザーの課題を解決したりニーズを満たすことが命題なので、その出発点としてユーザーの課題やニーズを知ることが最も重要だからです。
顧客に対し新たな価値を創造するには、顧客が何を重要と考え、何に価値を見出しているのか知る必要があります。このフェーズを丁寧に実行することで、イノベーションにつながる新しい発見を手にする可能性が高まります1)。 このように、デザイン思考はユーザーが抱えている現状の課題やニーズを確認することからスタートしている点に、まずは着目してほしいと思います。
共感と定義のプロセス
ステップ①の共感は、ユーザーの行動や考え方をじっくり観察することを通じてユーザーの想いや経験に共感するプロセスです。
デザイン思考の原則である人間中心の視点に立つには、相手に対する深い共感が必要です。相手に共感することで、相手にとって意義深い製品やサービスを生みだす可能性を高めます。このステップでは、ユーザーの「行動」や「発言」から「考え」や「気持ち」に歩み寄り、ユーザーが日々の生活の中でストレスに感じていることや大切にしたいと思っている価値観を理解し、ユーザー固有のナラティブを見出します。ユーザーの視点に立って世の中を見渡せるようになることが、共感ステップのゴールです1)。
ステップ②の定義は、共感を通して把握したユーザーの想いや他のステイクホルダーとの関わり方などからインサイトを考察し、ユーザーの抱えている課題やニーズを特定するプロセスです。
共感から新たに得られたインサイトにもとづいてユーザーの課題やニーズとして再定義し、さらに解決優先順位を考えて課題を特定することで解決策発案のたたき台とします。
デザイン思考のコンセプトに共通するPatient Reader®ワークショップ
わたしたちが実施しているソーシャルリスニングのPatient Reader®では、皆さん自身が患者さんの声に共感し、かつ、その声を元に真の診療課題や最適な解決策を考察するためのワークショップを実施します。このワークショップは「自分たちの分析結果だけではなく、こんなにリアルな患者さんの声やナラティブを、製薬企業やその他のステイクホルダーの皆さんのココロにそのまま届けたい」という想いがスタートのきっかけでした。はじめからデザイン思考を踏襲するつもりはなかったのですが、試行錯誤しているうちにそれと非常に近しいものに行き着いています。
共感のステップ
このワークショップでは、デザイン思考同様に、「共感」のステップから始めます。題材は患者さんやそのご家族の書いた投稿です。描かれている患者さんの想いや経験を自分ごととして感じ、共感するのがこのステップです。このステップで自分ごととして感じることは、とても大切です。なぜならば第三者の客観的な観察になってしまうと、患者さんがどうしてそう感じたのか、どうしてそう行動したのか、を理解しにくくなってしまうからです。投稿に描かれているナラティブを自分ごととして感じることで、自分自身が当事者になったような疑似体験が可能になるのです。
こうした共感のステップを踏むことで、患者さんやご家族の痛みや辛さ、ペインを心の底から理解できるようになります。ここでのペインには、まずは身体的なものや精神的なものが含まれます。ただ、それらに限らず、第三者の無理解や好奇の目に晒される辛さや就業制限による生活苦難など社会的なペイン、過酷な治療の継続による生存意欲の喪失などスピリチュアルなペインまで、トータルで全方位的なペインを理解することができます。
課題定義のステップ
共感ステップでさまざまなペインを理解できたら、今度は課題定義のステップです。広範囲にわたるペインの中から、診療品質や製品成長に影響のあるペインは何か、どこから手を付けて行くべきかを考えるのが、この課題定義ステップです。課題の優先順位付けは、いつも最も難しいパートの一つですが、優先順位を考えるための尺度も予め用意して、参加者の皆さんに考えてもらいます。
優先課題が決まったら、今度は解決策の考察です。解決策の考察のためには、一体どんな理由や経緯があってそのペインが生まれているのか、など課題の背景を探すことが大事です。そうした背景の理解のためにも、しっかり共感することが大切です。デザイン思考は、発散と収束を繰り返しながら非直線的に進めますが、こうした進め方も新しいアイデアを考えるためには重要です。
Patient Reader®ワークショップから生まれたアイデア
このワークショップからは、実際にいろいろなアイデアが生まれてきました。例えば、ある企業では患者さんの治療脱落が課題で、なぜ多くの患者さんが脱落してしまうのか、その理由を確認するためにPatient Reader®を実施しました。
結果として見えてきたことは、確かに患者さんが他の治療法への切り替えを望むケースも少なくありませんでしたが、それ以上に医師の治療法への認識のばらつきによる治療中止や脱落例が多いことが分かりました。このことで、積極的に働き掛けを行うべきステイクホルダーが患者さんから医師へ変更されるべきことが明らかになりました。
また、患者さんが初診で通う診療科の医師が、対象疾患への経験が少ないために、患者さんへの発言や対応が不適切になることがあります。これには医師による疾患や治療重要度の認識を上げることが重要ですが、ただ情報を提供するだけでは認識は上がりません。こうした疾患のケースではPatient Reader®で可視化したナラティブに基づく患者さんストーリーの映像化や、医師やコメディカルなどを対象とした共感ワークショップの開催といったアイデアがたくさん出されます。このほかにもワークショップから色々なアイデアが生まれていて、参加いただいた方の多くは、ワークショップをとても高く評価してくれています。
社内のサイロを壊し、課題解決への推進力を得るための仕掛け
今回は、患者さんの声を元に患者さんの想いや経験に共感し、アンメットニーズやペインの把握や解決策の考察のためのワークショップについてお話ししてきました。実は、このワークショップの大きな効用はもう一つあります。それは、ワークショップに参加した人たちの疾患に関する課題解決への意識やそのための業務遂行への使命感などが格段と強くなることです。「生半可な気持ちで仕事に向かうのではいけないという気になった」「患者さんの身体的精神的な辛さは、自分の想像以上だった」など参加者の方々から多くのご感想をいただいています。
こうした効果があることを踏まえ、わたしたちはできるだけ多くの社内ステイクホルダーの方々にワークショップにご参加いただくようにお勧めしています。部門横断的なワークショップ開催が、社内組織的なサイロ(組織の壁)を取っ払い、社内横断的にペイシェントセントリシティーが実現定着する重要な契機になると考えているからです。
事実、参加者の多くからこうした声もいただいています。「部門横断的なブランドチームで患者さんに共感し、各自の経験値を結集して協議できた点が素晴らしい」「患者さんの声を元に議論することはなかったので、違った角度から今後の戦略を考察することができた」「普段忘れがちな、患者さん目線や患者さんの悩みを第一に考えることの重要性に改めて気づかされた」
どうですか、患者さんの声を元にしたワークショップでのイノベーション考察を、経験してみませんか?
参考文献
1) 柏野尊徳, デザイン思考研究所, 2020, 『デザイン思考の5つのフェーズ:「d.seed」モデル』https://designthinking.eireneuniversity.org/swfu/d/design-thinking-dseed.pdf