医薬品市場でのCX創造のためのソーシャルリスニングとデザイン思考の応用|#2 CXの第一歩としての顧客理解
この連載では、ソーシャルリスニングとデザインシンキングの思考法を繋ぎ合わせたプログラム「ペイシェント・リーダー®」を活用して製薬企業のマーケティングサポートに携わってきた経験をもとに、ペイシェント・セントリックな顧客体験(CX)を創造するための重要なプロセスを解説します。第2回は「CXの第一歩としての顧客理解」がテーマです。
(トランサージュ株式会社 代表取締役 瀧口 慎太郎)
【連載第2回】 CXの第一歩としての顧客理解
本連載タイトルで使用しているCXを含め、BXやDXなど最近はやたらにXとつく略語が飛び交っています。今回はまず、こうした言葉の語源からCXがどんな意味を持つのかを他産業での事例を交えて確認することから始めます。
次に、CXの実現がなぜ医薬品マーケティングでは難しいと考えられるのか、という要因を考察してみます。最後に、CXを実現するための最初の一歩として必要な、顧客理解のあり方をご紹介したいと思います。
語源から考えるCXの意味
連載テーマにあるCXですが、そもそもそれが何を意味するのかと言う問いかけは、あまりにも当たり前すぎて禅の問いのようにも感じられるのかもしれません。ところが意外におぼろ気な解釈のままCXと言う単語を使っている場合も少なくないので、ここでもう一度確認しておきたいと思います。
いつの間にか、世の中には〜Xと言う単語が氾濫しています。DXはその中でも最もポピュラーで、解釈は人ぞれぞれのようですが、いまや誰もが知る言葉となりました。 このほかにも、UX、BX、IXなどさまざまな〜XがWebや書籍を開くと踊っています。この中で、BX、IX、DXはBX=Business Transformation、IX=Industrial Transformation、DX=Digital Transformationの意味で使われることが一般的※です。ここでのXはtrans-formationのtransに交差(cross)という意味があることからXが用いられていると伝えられています。
※BXはBrand Experience、IXはInternet Experienceの意味で使われることもあります。
一方、CXやUXはそれぞれCustomer Experience、User Experienceを意味し、ここでのXは”experience”の冒頭の [eks] が語源と伝えられています。ただ、日本語にするとどちらも顧客体験になり違いが分かりにくい上に、UXに関してはUI=User Interfaceとの違いの分かりにくさも加わります。いろいろな説があるなか、どうやら対象範囲はUI<UX<CXの順に広がっていくことは共通しています。
CX・UX・UIの違い
パソコンとUIの両者は、同時代的に普及してきたと思われます。昔のパソコンは、本当に使いづらいものでした。したがって、そのパソコンをどうやって誰もが使いやすいものにするか、が普及の鍵だったと言えます。そしてパソコンのハードやソフトをどう使いやすくするか、と設計者が懸命に考えていたときに、考察軸として利用してきたコンセプトが、UIでした。 つまり、設計者はUIを軸に、キーボードやタッチボタンの使いやすさ、メニューの選びやすさなどの機能面での「やすさ」の向上を図ろうと努力しました。その結果生まれた「やすさ」が、ユーザーの製品選択の重要な基準となっていったことでUIは定着してきたと考えます。事実、UIはクルマなどを含むハードやアプリなどのソフトの開発者が用いるケースが多い用語です。
一方で、CXやUXはそうした機能的な顧客体験を超え、顧客が商品利用を通して得る感動や没我感などの情緒・感情(エモーショナルな)面への好ましい揺さぶりなども「体験」として含むことが一般的です。そのため、CXやUXはUIより広範囲な顧客体験だと言えます。
しかし、CXとUXの違いとなると諸説混乱の状況を呈します。ある説では「UXはファンクショナルな面だけのことでCXはさらにエモーショナルな面が加わる」、別の説では「UXはファンクショナルな体験だけで、CXはエモーショナルな体験だけのことだ」などです。ここでこの混乱をただすつもりは毛頭ありません。だた、こうして俯瞰してみると、CXの意味合いは「ファンクショナルな面だけではなくエモーショナルな面も含めてお客さまにとって好ましい体験を提供することで、素晴らしい製品/サービスと感じ取っていただき、利用リピートの獲得やカスタマーロイヤリティを高めること」ということができます。
CXを向上させた他業界の事例
よく知られているCXの一例には次のようなものが挙げられます。
Netflix
新型コロナウイルス感染症のパンデミックで世界中の利用率が高まったオンライン・ストリーミングのNetflixは、わざわざ映画館やビデオレンタル店などに足を運ばなくても自宅に居ながらにして高品質の映像を思う存分に楽しめるようになったという点で、ライフスタイルを変革する勢いを持つCXの事例のひとつです。
ドミノピザ
ドミノピザは、電話での宅配状況確認から脱却して頼んだピザがどのプロセスで店舗を出た後どこに居るかを確認できるGPS連動アプリを業界で初めて取り入れ、注文したお客さまが頼んだピザがいつごろ届くのかというイライラの解消に役立てています。
イオン
流通サービスのイオンは、レジゴーという端末を店舗に用意して、購入する商品をカゴに入れるときに商品バーコードをスキャンして専用レジで会計することで、レジでのレジ待ち行列によるイライラの解消や忙しいお客さまの買い物時間の短縮に役立てています。
いずれのケースにも共通することは、テクノロジー面での革新を元に、それまでの煩わしさや時間拘束心、ストレスなどを解消するために構築した顧客体験という点に着目ポイントがあると考えています。
CXの実現は医薬品マーケティングでは難しいのか
Netflixやドミノピザなど、他産業におけるCXについてはすでに触れました。一方、これまでに何度かクライアントさんと一緒に医薬品マーケティングのCXを考えてみる機会を経験しましたが、発想すること自体がなかなか難しい、と感じさせられることがありました。その理由は以下の3つです。
1)コンプライアンスやレギュレーションが頭をよぎり、発想に制限が出てしまう
2)顧客の課題の掘り下げが十分ではないままに、既知または既存の打ち手の延長線上で発想してしまう
3)CX実現による製品の売上に対するインパクトがわからない
1)コンプライアンスやレギュレーションが頭をよぎり、発想に制限が出てしてしまう
この点に関しては軽々とコメントできる立場ではありませんが、少なくとも言えることは「ビジネスで他者に勝るためには、他者が選択していないチャレンジの道を選ぶしかない」ということです。以前、新製品担当として施策案を発表した時に「レギュレーション上、推進困難な点がある」と伝えた私に対して、当時の社長が発した次の一言は今でも強烈な記憶です。「あなたが本当に正しいと思うなら、法律を変えるように厚労省でもどこでも行って説得して来なさい」
挑戦に向かうことで目の前に壁が立ちはだかることは、しばしばです。その壁を崩す方法を考えることもまた、その挑戦に含まれています。むしろ易々と成し遂げられる挑戦は、他者も容易に考え進んでくる凡庸な施策に過ぎない、とも言えるのではないでしょうか。
具体的には、例えば公取協や厚労省などの所轄部局に対して、自分が実現したいことにおけるハードル・障害をどの様に回避することが可能か、質問を投げたり対話機会を持つことも必要に応じて重要なのではないでしょうか。
2)顧客の課題の掘り下げが十分ではないままに、既知または既存の打ち手の延長線上で発想してしまう
この点に関しては、課題の掘り下げが十分でないと既知既存の打ち手しか想像できなくなってしまうものだ、と考えています。
例えば宅配ピザのイライラは、注文した店舗に電話で問い合わせることで和らぎます。でも店舗を出発した後の到達時間に交通状況などを含めて確実な答えはなく「あと20分くらいです」という回答を聞いてもイライラはまた起こり得ます。でも、「正確な配達時間よりも正確な配達状況がわかれば安心できる」としたら、GPSでリアルタイムな配達状況を見せることでイライラは解消できます。
レジ待ち行列のイライラもそこで課題定義を終えてしまうと時間浪費だけがクローズアップされて「レジを増やす」「レジ打ちスタッフを増やす」「ファストレーンを設けて購入商品数の少ないお客さまのストレスだけでも解消する」といった月並みな打ち手しか出しようがありません。しかし、イライラの原因は並ぶこと、時間を浪費することだけでなく、レジスタッフのバーコード読み込みのスキル不足や他の買い物客の問いかけへのスタッフ対応が含まれているとすれば、それらは上記の解決策だけでは解消しきれません。
イオンが出した回答は、専用端末を使って自分でスキャンする、人のいない専用レジで支払い方法を選んで決済するという方法で、スタッフのスキルや他の買い物客へのスタッフ対応も解消されることになります。
3)CX実現による製品の売上に対するインパクトがわからない
では3に関してはどうでしょう。実は多くの場合、この要因によるハードルが一番高いと考えています。
つまり「CXで患者さんの課題を解決したところで、製品の売上にどれだけ貢献してくれるのか」「この患者さんの課題を解決することは、自分たちマーケティングがやるべきタスクなのか」といった疑問です。確かに答えを見つけにくいハードルですが、ここで1点だけ触れておくとすれば「マーケティングのゴールは顧客の課題を解決することで、売上を上げることではない」という大原則です。
この点については、回を改めて詳しくお話ししたいと思います。
CX考察のスタート地点としての顧客理解
医薬品マーケティングでCXを考えるために、どのような着眼点が必要になるのでしょうか。ここまでお読みいただいた皆さまは、すでにこの問いへの回答を思い浮かべていらっしゃるかと思います。
顧客理解は、どの業界のマーケティングでもイロハのイ、一丁目一番地です。したがってCX考察のためには、顧客がどんなことに対してどんなリアクションをとっていて、どんな悩みを抱え、どんなことでマインドセットの変化が起きているのか、など行動や認識についての理解を深めることが第一歩です。
医薬品マーケティングにおいての顧客は、医師と患者さんの両者です。医師であれば対象疾患の診療に対してどのような考えを持っているのか。例えば、診断のときに診療ガイドラインを利用することが一般的なのか、経験的な診察が一般的なのか。治療選択のときに、投薬を第一選択と考えているのか、手術を第一選択と考えているのか。治療のゴールとして、マーカーの改善が第一なのか、自覚症状改善が第一なのか。それぞれのプロセスで実際にどんな行動が取られていて、それはガイドラインや理想とする診療プロセスとどう違っているのか、といったことを深く理解することが重要です。そして同時に、患者さんについても同様の理解をしていくことも重要です。
こうした顧客理解をする際のツールとしてペイシェント・ジャーニーがあります。医師と患者さんの行動や認識をひとつのペイシェント・ジャーニーにまとめていくことで、それぞれの行動認識理解だけではなく、両者の認識ギャップやそのギャップがどのタイミングで発生するのかまでも可視化できます。
とは言え、必ずいつもペイシェント・ジャーニーにまとめる必要がある訳ではなく、大切なのは顧客を深く理解することです。市場調査から得られた、医師と患者さんの行動と認識をサラリと並べてみるだけでは、実はなかなか本音は分かりません。ここで大切なことは、気になる行動や認識については、それらの行動や認識がどうして生まれたのか、という背景や動機を考察することです。
例えば先述のレジ行列での事例に見るように、お客様のイライラは行列に並ぶ時間だけが引き金なのではなく、行列の長時間化につながるスタッフのスキル不足や他の買い物客への対応が根本理由として存在していました。つまり、課題を表層的に追いかけることで終えてしまうと、打ち手自体も平板でどこかで聞いたことのある発想に落ち着きかねません。
また、患者さんの理解をしていくと、医師以上にその関心が広範囲に広がっていることに気付きます。それは、第1回でお話しした病気の捉え方としての医師と患者さんのそもそもの違いから発生するもので、その広範囲さがCXを考える上で、とても大事であるとともに、悩ましさの原因ともなると感じています。
こうして確認できた患者さんの行動や認識を元に、その背景や動機を考えると、疾患それぞれに診療課題が浮き彫りになってきます。例えば、女性ならではの理由による受診への戸惑いだったり、きちんと伝えきれなかったことによる診断遅れであったり、医師の発した言葉への誤解によるミスコミュニケーション、といった課題です。こうした具体的な課題を把握できれば、それぞれに製薬企業としての適切な解決策をCXとして実現することは、決して桁外れのチャレンジではないと考えています。
次回は、顧客理解を深めるための手法についてお話ししたいと思います。
トランサージュ株式会社
『Patient Centricを礎に“マーケティング・エクセレンス”をデザインし、より高品質なヘルスケアの実現に寄与する』をモットーとして、ヘルスケア企業向けにコンサルティング/ビジネスリサーチ/トレーニングを提供。