製薬企業の治療アプリ参入を考察|医師調査や有識者視点から導く課題と対応策
医療系デジタル市場の拡大に伴い、製薬企業が治療アプリ開発に関わるケースが見られるようになりました。しかし実際のところ、治療アプリは医師にどれくらい受容されているのでしょうか。治療アプリは医薬品の競合になるのでしょうか?それとも併用療法のパートナーとなるのでしょうか?
本記事では、株式会社インテージヘルスケアのセミナーで紹介された最新の医師調査結果や、医業経営コンサルタント 高橋洋明氏のコメントを交えながら、治療アプリの現在の課題と対応策について考察します。
今後も拡大する見込みの治療アプリ。患者を支援し治療効果の最大化を図る
近年、医療の分野でもデジタルを使った新しい技術が続々と開発されています。デジタル技術を活用して治療的介入を行う製品は「デジタルセラピューティクス(DTx)」と呼ばれ、その市場は今後も拡大していくことが見込まれています。
中でも治療アプリは、医薬品、医療機器に続く第3の治療として注目されています。
これまでの治療では、患者が受診した際に検査・診断・治療を受け、薬物療法であれば、受診後に患者自身の生活の中で治療薬を服用し、治療を継続するのが通常の流れでした。
しかし、実際には患者さんが治療薬を飲み忘れることもあり、そのことによって薬物療法の効果が減弱するケースなどが起こります。
また、うつ病のような認知行動療法が効果的な疾患の場合でも、患者の生活の中で、主治医が常時患者の考え方に良い影響を与えるような関わり方をするのは、難しい場合も多いでしょう。
受診時とは異なり、患者の生活の場面では医療従事者が適切なタイミングで介入できないため、どうしても前述のような状況は起こり得ます。
このような状況を解決し、患者を日々継続的に支援し、治療効果の最大化を図るのが治療アプリです。
日本国内で承認されている、または開発中の主な治療アプリは下記のとおりです(2024年4月時点の情報をもとに記載)。
アプリ名 | メーカー | 適応疾患 | 承認年月 | 保険適用 | 機能 |
---|---|---|---|---|---|
CureApp SC ニコチン依存症治療アプリ及びCOチェッカー | 株式会社CureApp | ニコチン依存症 | 2020年6月 | ○ | 禁煙治療スマートフォンアプリ(デジタル禁煙日記、ニコチン依存症に関する教育動画、自動応答チャットボットによるカウンセリング) |
CureApp HT 高血圧治療補助アプリ | 株式会社CureApp | 成人の本態性高血圧症の治療補助 | 2022年4月 | ○ | 患者ごとに個別化された治療ガイダンス(患者が入力した情報に応じた食事、運動、睡眠などに関する知識や行動改善を働きかける情報)を、スマートフォンを介して直接提供 |
サスメドMed CBT-i 不眠障害用アプリ | サスメド株式会社 (塩野義製薬と販売連携) | 不眠障害の治療において、医師が行う認知行動療法の支援を行う | 2023年2月 | × | 不眠障害を有する患者に対し認知行動療法(CBT-I)を実施するために用いるスマートフォンアプリ。9週間にわたってアプリから促される指示に従うことで不眠症状に対する治療効果をもたらすことを意図している |
- | 株式会社CureApp | 減酒治療 | 申請中 | - | 軽度アルコール依存症患者を対象とした減酒治療アプリ |
- | 株式会社CureApp | NASH(非アルコール性脂肪肝炎) | 開発中 | - | - |
- | 株式会社CureApp (第一三共と共同開発) | がん治療支援 | 開発中 | - | - |
- | サスメド株式会社 | 乳がん 他1) | 開発中 | - | - |
これ以外にも、開発企業主導、あるいは製薬企業主導、もしくは両社の提携によって治療アプリが多数開発されています。
厚生労働省も治療アプリの開発を後押し
厚生労働省も、治療アプリの開発を後押しして、評価しています。その証拠に、PMDAではSaMD一元的相談窓口(医療機器プログラム総合相談)を設置し、治療アプリの開発を手掛ける企業を支援しています。
もともと日本政府は、2021年の骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針2021)でも、医療およびヘルスケア領域でのデジタルのテクノロジーとデータの利活用を推進すると明記していました。
加えて、健康日本21(二十一世紀における国民健康づくり運動)においても「デジタル技術の活用」が挙げられています。日本政府はデジタル技術を積極的に活用し、より効果的で効率的な健康増進を目指していると言えるでしょう。
さらに、2024年の診療報酬改定でも、治療アプリ(診療報酬上は「プログラム医療機器」)に「プログラム医療機器等指導管理料として90点」「プログラム医療機器等導入期加算として50点」を算定可能としました2)。
これらはいずれも、治療アプリに対する厚生労働省の期待の表れと言えるでしょう。
治療アプリは、製薬企業のビジネスにどのような影響を与えるか?
現時点において、治療アプリを活用・開発している製薬企業も見られます。こうした製薬企業は、治療アプリを自社製品が関連する疾患領域に投入、あるいは開発しています。
製薬企業が治療アプリを投入する最たる理由は「服薬指導などによる自社医薬品の効果の最大化」と「患者の行動データなどの入手、分析から新たな課題を探索する」ことです。
近年のスマートフォンやウェアラブルデバイスなどのセンシング技術や、通信速度の向上などにより、患者のさまざまなデータが捕捉可能になってきました。
これらのデータの入手と活用は、顧客である患者の理解度を深め、より深い真のニーズを引き出し、それに基づく新たなマーケティングプランの検討などを可能にするでしょう。
また、治療アプリの開発費用は、製薬企業が医薬品を開発する費用よりも安価で、開発期間も大幅に短くて済むというメリットもあります3)。
治療アプリ開発の期間は約 6 年、費用は数億~数十億円と言われています。一方、医薬品の開発にかかる期間は9~16 年、費用は数千億円と言われていますので、治療アプリは新薬の開発よりも収益化が早い可能性があります3),4) 。
仮に高血圧症患者1,000万人が、高血圧症の治療アプリ(1アプリ¥7,000と想定)を利用した場合、得られる売上は700億円になります。ここまで治療アプリの売上が伸びるなら、製薬企業のビジネスにも良い影響が考えられるでしょう。
医師調査からみる治療アプリの現状と課題|インテージヘルスケアセミナーのデータより
では、治療アプリは現在の臨床で、どれくらい処方されているのでしょうか。
2024年3月12日にインテージヘルスケアが開催したイベント内の講演「医師アンケートからみるDTxの期待と展望」では、医師の治療アプリの使用経験や認知状況などについての調査結果が紹介されました。
治療アプリの使用経験や認知状況
調査によると、実際に治療アプリを処方したことがある医師の割合は2〜8%程度、治療アプリの存在を知っているが処方したことはない医師は17〜42%程度、治療アプリの名称を知らない医師が53〜82%でした。
この調査結果から、医師にとって治療アプリの認知度や処方割合はまだまだ低いと見ることができます。
治療アプリの導入意向
また同調査では、今後治療アプリを「積極的に導入していきたい」「導入したい」と考える医師は、アンケート対象全体でそれぞれ14%と18%でした。
「導入に関して、まだ決めかねている」と回答した医師が52%存在することを考えると、治療アプリはまだ臨床に浸透しているとは言えない状況です。
ただし、治療アプリを「できれば導入はしたくない」「導入したくない」という医師は、それぞれ7%と9%だったため、治療アプリが医師から全面的に否定されているということでもないでしょう。おそらく、治療アプリをよく知らない医師が世の中の半数を占めているのが現状だと考えられます。
治療アプリ導入の懸念点
医師が治療アプリを導入する場合、どのようなことに懸念があるかを尋ねた設問では、「コメディカル等の協力が必要不可欠である」の項目に対し、「非常にそう思う」が医師全体の25%、「そう思う」が30%同意しています。
この回答を診療科別に見ていくと、糖尿病内科と循環器内科の医師の半数以上が「治療アプリの導入には、コメディカル等の協力が不可欠である」の項目に対して「非常にそう思う」「そう思う」と回答していました。コメディカルへの教育のサポートなどにニーズがあると言えそうです。
治療アプリに期待すること
また、「今後のDTx(デジタル治療)導入に対して、どのようなことを期待していますか」の設問では、医師の半数以上が「薬物治療などの既存治療を強化・補完できる」ことを治療アプリに期待しています。
このことは、医師が治療アプリの価値を理解・納得したら、今後治療アプリを処方する医師が増えてくる可能性があることを示唆するとも考えられます。
また、「治療用アプリに関して、仮に導入を検討するとしたら、先生が重視することはどんなことですか」の設問では、「導入が煩雑でない(57%)」「信頼できるエビデンスがある(48%)」「保険償還され、医療側の経営的メリットがある(41%)」などが上位でした。
治療アプリの処方の際に重視する患者属性
「DTx(デジタル治療)導入を判断する場合、どのような患者さんの属性を重視して導入を判断すると思いますか」の設問では、「年齢」、「治療意識の高さ」、「IT・デジタルに関するリテラシー」を重視する医師が全体の半数以上いました。
さらに、「実際にどのくらいの患者さんに治療アプリを処方できそうか」という設問に対しては、高血圧症・糖尿病・うつ病の患者に対し、概ね30%未満の患者が処方対象だろうと回答しています。
医業経営コンサルタントからみた医療現場における治療アプリの課題
このアンケート結果を、医業経営コンサルタントの高橋洋明氏に見てもらい、感想をうかがいました。
高橋氏は、次のようにいくつかのポイントを指摘しました。
- 治療アプリの導入状況は、現時点ではかなり限定的
- 治療アプリでも患者さん自身の治療理解が重要
- 患者さんの属性によってはアプリ操作が困難
- 医師の業務負担が増える懸念
- 患者さんの金銭的な負担
高橋氏:まず、現在の医療機関の中で、治療アプリを処方している医療機関とその診療科は、かなり限定的です。治療アプリによって治療成績が著しく向上したという医師のコメントは、あまり聞かれません。治療アプリによって売上が大幅に伸びたという製薬企業の話も、現時点ではあまり聞こえてきません。
第2のポイントは、治療アプリでも患者さん自身の治療理解が重要である点です。
実際の治療において、治療アプリが処方されている疾患の多くは、医師が介入しにくい『患者さんが自宅にいる時の行動変容を促したり、服薬を遵守させる』必要がある疾患です。
このような疾患だと治療アプリの効果も期待しやすく、治療成績も一定の向上が期待できるでしょう。
しかし、治療アプリに限らず、そもそも患者さん自身が治療を理解していなければ、いくら治療アプリを組み合わせた薬物療法を実施しても、治療そのものがうまくいきません。
薬物療法からの患者さんの脱落が止まらないのは、医療の歴史を振り返れば明らかです。患者さんの自己判断による受診の中断は、昔から現代に至るまで、ずっと起こっています。
第3のポイントは、患者さんの属性によってはアプリ操作が困難である点です。
治療アプリの処方が可能と考えられる患者さんが全体の30%程度というのも、高血圧症・糖尿病ではうなずけます。高齢者ほどこれらの生活習慣病は発症しやすいですが、高齢者ほどITリテラシーが若年者より低くなる傾向は、さまざまな調査で指摘されています。
つまり、生活習慣病をわずらう高齢の患者さんでは、治療アプリを処方してもうまく操作ができず、思ったような治療効果が得られないばかりか、治療の費用が嵩んでしまい、治療から脱落する人が出てくる可能性があるということです。
第4のポイントは、医師の業務負担が増える懸念です。
全体の半数程度の医師が、「治療アプリの処方に、コメディカルの協力が必要不可欠」と考えていることが、私は興味深いと感じました。医師が治療アプリを処方する際には、患者への説明が必要となりますが、そもそも治療アプリに対する理解が浸透していないため、十分な説明が求められます。しかし、これは医師の業務負担増加につながることから、医師としては薬剤師や看護師など他のスタッフによる説明を望んでいるのではないでしょうか。
医師の働き方改革が始まった中、医師の業務時間を減らす必要があるのに、業務時間が増えかねない治療アプリは、現時点では医師の支持が得られにくいかもしれません。
第5のポイントは、患者さんの金銭的な負担です。
治療アプリは、1アプリあたり数千円〜数万円の費用がかかります。そして、治療薬と一緒に処方されることが多いようですから、薬物療法だけよりも患者さんの金銭的な負担が増えることになります。年金受給者の高齢者にとって、薬代の数千円に対して、さらに数千円上乗せされるというのは、生活苦につながる可能性もあるでしょう。
患者さんからの費用負担の苦情が出たり、患者さんが他の医療機関に受診してしまうリスクを予想する医師が多いことが、今回のアンケートから見て取れると思います。
実際に、平成26年度の診療報酬改定時に、地域包括診療料の算定によって、高齢の患者さんが他院に受診してしまった事例がたくさんありました。
この時の診療報酬改定では、主治医機能を強化・評価するために、地域包括診療料が1,503点、¥15,030が算定できました。
毎月数千円の支払いで薬物療法を受けていた高齢の患者さんに対して、医療機関が3割負担なら¥4,509の負担増、1割負担でも¥1,503の負担増をお願いしたところ、多くの高齢の患者さんが他院を受診するようになってしまった、自院の患者数が減ってしまったと後悔していた医療機関がたくさんありました。
この事例と似たようなことが治療アプリでも起こり得る可能性があると考えられます。
治療アプリが臨床に浸透するために必要な取り組み
高橋氏は、治療アプリが臨床で汎用され、製薬企業の売上アップにつなげるために今後必要な取り組みとして下記3点を挙げました。
- 治療アプリが提供する価値を、医師と患者さんに広く知ってもらい、理解してもらうこと
- 医学的な見地で、薬物療法と治療アプリの組み合わせが薬物療法のみよりも治療効果が高く、費用対効果も優れることを多数のエビデンスで証明し、医師や患者さんに知ってもらうこと
- 医師の臨床や患者さんの日常生活を踏まえ、治療アプリが医師の診察時の利便性を高め、医師の診断の時短につながり、治療効果を高め、患者さんの満足度向上につながることをデータで証明すること
「治療アプリの場合、リアルタイムでリアルワールドデータが収集できるので、従来の臨床試験では得られなかった、全く新しい切り口のデータも収集できることが期待されます。これらの新しい価値を生み出し、医師と患者さんにとってなくてはならない存在になることが、治療アプリの将来にとって極めて重要だと考えます」と高橋氏は強調しました。
治療アプリの普及に向けて製薬企業が果たすべき役割
治療アプリは、医療の質の向上や製薬企業のビジネスの発展に大きな可能性を秘めています。しかし、現状では医師や患者への認知度が低く、導入への懸念も少なくありません。治療アプリが臨床に浸透し、その恩恵を患者にもたらすためには、医学的エビデンスの構築や、医師・患者への啓発活動、コメディカルとの協力を進めていく必要があります。
今後は製薬企業も治療アプリの開発やマーケティングに関わるケースが増えると見込まれます。これらの課題解決に向けて、医療関係者や行政とも協働しながら、リーダーシップを発揮することが期待されていると言えそうです。
<参考>※URL最終閲覧2024/4/11
1) サスメド株式会社、治療用アプリ開発パイプライン, https://www.susmed.co.jp/application/
2) 令和6年度診療報酬改定 【全体概要版】https://www.mhlw.go.jp/content/12400000/001238898.pdf
3) デジタルメディスンの開発と健康医療データの利活用 -医療・ヘルスケアの変革期における製薬産業のあり方- 辻井 惇也、日本製薬工業協会, https://www.jpma.or.jp/opir/research/rs084/es9fc600000009q0-att/RESEARCHPAPER_SERIES_No84.pdf
4) 日本製薬工業協会、会長記者会見資料(2023年2月16 日), https://www.jpma.or.jp/newsroom/release/news2023/jtrngf0000001d38-att/2023021611.pdf