【コラム】第3回 ペイシェントセントリシティは、製品の成長にどのように繋がるのか?

これまで製薬企業のマーケティングやセールスに関する人材育成等のサポートに携わってきた中で、製薬企業の方からさまざまなご質問をいただいてきました。この連載では、わたしたちがトレーニングの際などに聞かれるシンプルかつ根本的な医薬品マーケティングに関する質問にお答えしたいと思います。第3回は「ペイシェントセントリシティは製品の成長にどう繋がるのか?」がテーマです。
(トランサージュ株式会社 代表取締役 瀧口 慎太郎)

Q:ペイシェントセントリシティは、製品の成長にどのように繋がるのか?
A:ペイシェントセントリック、つまり患者さん中心のマーケティングは、長期的に大きな成長因子になると考えられる

<ポイント>
① 医薬品市場を取り巻く環境変化は「患者中心」を後押ししている
② ペイシェントセントリシティは、患者さんだけでなく社員にも好影響が出る
③ これからの時代は、マーケティングにも共感力が重要である

医薬品市場を取り巻く環境変化

ヒポクラテスの時代からいわれている「ペイシェントセントリシティ」がいまなぜ改めて重要視されているのかを紐解くために、まずは21世紀の医薬品市場を取り巻く環境について振り返りたいと思います。

テクノロジーが変えた患者さんの位置

20世紀後半までは、専門的な医療情報や医薬に関する最新トピックスなどは、アカデミアや医療専門誌などの情報源からほぼ医療関係者だけが独占的に入手できる専門情報の一つでした。20世紀後半から21世紀初頭にかけてのインターネットやスマートフォンの普及は、こうした偏在的だったほとんどの情報でさえ誰でもどこでも入手できるように大きく環境を変化させました。

例えば、いまでは患者さんや家族のほとんどが、あらゆるジャーニーフェーズ(症状が発生したとき、受診先を考えるとき、診断を受けたとき、治療選択肢を提示されたとき、治療の効果が心配になったとき)でネット検索をして、またはQ&Aサイトへ問い合わせて希望する情報を入手しています。患者さんは医師などの医療提供者と同等の情報を得ることができ、情報の平等性という点では医師と患者さんの間にはほとんど差はなくなりました。

つまり結果として、従来は医療提供者から一方的に情報を与えられるだけだった患者さんの立場は、その気になれば医師と堂々とディスカッションができるほどに大きく変化しています。

プライマリー市場からスペシャリティ市場へのシフトとプレシジョンメディシン

医薬品市場の中心疾患領域は、従来の高血圧や脂質異常症などのプライマリ領域から、オンコロジーや希少疾患などのスペシャリティ領域へと21世紀に入って大きくシフトしました。これはプライマリ領域でのブロックバスターが一通り出尽くしたことも背景にあると考えられますが、一方で遺伝子解析などのテクノロジーの進化によって、従来難しかった医薬品の開発も可能になってきたという背景もあります。

この医療におけるテクノロジーの進化や、その結果としての対象疾患領域のシフトは、従来の診療の考え方へも大きく影響を及ぼします。例えばオンコロジー領域で疾病分類をするとき、従来は胃がんや大腸がんなど、がんのできた臓器別に分類されることが適切だと見なされてきました。今では、遺伝子学の発達に伴ってがんは遺伝情報に基づいて分類する方が正確だという考え方にシフトしてきています。同じ肺がんでもがん化のきっかけになった遺伝子変異には違いがあり、この遺伝子変異によって分類した方がよいのでは、という「プレシジョンメディシン」の考えです。

2015年にアメリカでオバマ大統領(当時)が一般教書演説でプレシジョンメディシン・イニシアティブ1)(がんとゲノムについての研究推進)を発表したことで、これが世界的な趨勢になったともいわれています。この遺伝情報に基づく病気の分類の考え方、プレシジョンメディシンは、オーダーメード医療やテーラーメード医療、パーソナライズド医療などともいわれ、いまでは新しい医療の大きなトレンドとなっています。

EBM(平均的医療)からプレシジョンメディシンへのシフト

1990年代以降の医療において、最適医療の推進のための科学的根拠として活用されてきたものが、EBM(Evidence-based Medicine)でした。EBMは中世以降に行われてきた病態生理の理解に基づく論理的な医療介入やエンピリックセラピーなどの経験的な医療に代えて、ある患者集団に対する医療介入結果を有効性や安全性などの科学的な評価判断しようという方法論2)で、治療の標準化に役立ってきました。ただ一方で、EBMが示す医療介入結果は試験プロトコル条件下での平均的患者への標準的治療であり、個々の医師の目の前にいる患者さんに必ずしも最適な選択肢となり得るかどうかは分からない、という点も否定できません。

先のプレシジョンメディシン・イニシアティブでは、今までの平均的患者に対する標準治療の方法論は“one-fits-all approach”(何でも同じに扱う画一的なアプローチ)だといった批判的な表現で記載されています。これに対して、遺伝子やライフスタイルなど個々の患者さんの相違を踏まえた医療がプレシジョンメディシンであり、医療技術や情報技術が進化した現代であれば、間違いなくこれを実現できる環境にあることは疑いようもありません。

ペイシェントセントリシティが与える影響

時代の変化により患者さんの立場が変わり、EBMからプレシジョンメディシン、すなわち患者集団ではなく患者さん個々への視点にシフトしていることをお話ししてきました。では患者さんを中心に考えるペイシェントセントリシティは、製品や企業の成長にどのような影響や、メリットがあるのでしょうか。

ペイシェントセントリシティのインパクト

実は、ペイシェントセントリシティと企業利益とが共存か、という問いは多くの製薬関係者に取って共通の疑問のようです。

例えば、製薬業界のペイシェントセントリシティに焦点を当てたグローバルプロジェクトである2016年のAurora Projectレポート3)の中で、この問いについて興味深い意見が語られています。

ある製薬企業のマーケティング副社長は「振り子をセールスから離してペイシェントセントリシティに向かって振りすぎると、社内の一部の人々から売り上げの遅れにつながるという不安が出る」と語っています。

こうした意見に対して、ある欧州系大手製薬企業の米国社長は次のように語ります。「多くの人たちが利益とペイシェントセントリシティという2つは対立すると信じていますが、わたしはそうは見ていません。より多くの患者さんを支援することは、より大きな収益につながります。事実、わたしは在職中、売上高と利益率の代わりに支援した患者さんたちの数を社内で共有しました。結果として、わたしたちの扱う疾患領域全体で、毎年、自分を含む誰もの期待を上回る利益を出しました」

また、別の大手製薬企業社長は次のように述べます。「数学的手法で短期間にペイシェントセントリシティを収益に直接関連付けることは難しいと思いますが、信頼構築やステークホルダーの巻き込み、患者アウトカムへの好影響など、時間の経過とともに収益の持続可能性が高まります」

このレポートの中には「ペイシェントセントリシティがどんな点で好影響があったか」という製薬企業に対するアンケート結果が示されています。この結果、医師からの信頼や社員の仕事への積極性がそれぞれ58%と最も高評価で、売上や利益に対しても約4〜5割の回答者が良いインパクトがあったと回答しています(表1)。

医師の信頼58%
従業員の関与58%
利害関係者の関与56%
患者の転帰56%
患者の信頼56%
予想収益45%
収益40%
医療保険支払者や政府の信頼37%
従業員の魅力/定着率36%
(Aurora Project 2016, n=2,346人)
表1:ペイシェントセントリシティに焦点を合わせた戦略による組織面での改善影響
3) Patient-Centric Profitability: Pharma’s Global Survey & Analysis A discussion of results from The Aurora Projectより作表

ペイシェントセントリシティで求められるWIN-WIN-WIN

ペイシェントセントリシティが機能するためには、患者さんだけではなく、医師そして自分たち(製薬企業)の三者が互いにより良い結果を生み出せる場所がどこか、という「スイートスポット」を探すことが重要です(下図)。

患者を中心とした企業と医師の三者のWIN-WIN-WIN

それは、患者さんへのサポートプログラムやアプリなどの提供かもしれません。あるいは投与経路や用法容量やパッケージングの工夫かもしれません。臨床試験デザインや価格設定かもしれません。患者さんだけでなくもう一人の顧客である医師にとっても最適解となる解決策はどんなことなのか、製薬企業としての持続的な成長という健全な野心をも保持しながら、どんなオリジナルの価値を提供できるのか。

ペイシェントセントリシティを上手に実践している製薬企業では「患者さんの話を聞く」ことから始めている、とAurora Projectレポートにはあります。ある幹部社員は「患者さんの話を聞いて、彼ら/彼女らのジャーニーをより良く理解しインサイトを把握して、パイプライン開発や戦略構築に活かすことが大事です」と述べています。

新しい時代を生き残るための共感力

ダニエル・ピンク氏のベストセラー『ハイコンセプト』4)の日本版で、訳者の大前研一氏は「この本には答えのない時代を生き抜いてゆく能力が示されている」と前書きしています。ここでいう「答えのない時代」とは、欧米発信の先行例、いわばベンチマークという「答え」のあった時代が20世紀までだったのに対して、欧米を含め世界中が混沌(カオス)のなかにあって、さまざまな複雑な課題に対して模範になる答え(ベンチマーク)を示せない「いま」を表しています。

現在の複雑な時代はしばしばVUCAなどと表現されますが、ピンク氏はこの著書で「ロジカルで直線的で、まるでコンピューターのような能力を基盤に築かれた“情報(ナレッジ)の時代”」から「創意や共感や総括的展望を持つことによって社会や経済が築かれる“コンセプトの時代”」へシフトしたこれからの生き残りのためには、論理や分析力ではなく共感力が重要になる、と語っています。それは、製薬マーケティングにおいても同様です。

例えば、戦略構築のために必要な最初のプロセスに顧客理解があります。その目的で医師や患者さんなど顧客の声に耳を傾ける機会があるかと思いますが、そのときに単に声を聞くだけでなく、その声に自分の想いをのせて共感することで彼/彼女らの真の悩みやニーズ(=ペインポイント)を把握することが可能になります。こうした他者に共感できる力こそが、これからの製薬マーケターに必要な能力の一つになっていることを指しています。

ペイシェントセントリシティは、信頼構築や社員満足向上で持続的成長を促す

本シリーズの第2回では、「患者の声は医薬品マーケティングのプロセスにおいて出発点であり、その経験や想いを自分ごと化し共感することで、最大の課題や解決の方向性が理解できる」という話をしました。オーロラプロジェクトのレポートで語られているペイシェントセントリシティのあり方も、この話に一致します。

医師だけでなくもう一人の顧客である患者さんにとっても最適解となる解決策はどんなことなのか、製薬企業としての持続的な成長という健全な野心も保持しながら、どんなオリジナルの価値を提供できるのか、患者さんの声を聞き、共感力によってWIN-WIN-WINのスイートスポットを見つけ出す。これがペイシェントセントリシティの視点であり、これからの医薬品マーケティングに求められている姿勢です。

ペイシェントセントリシティは、必ずしも短い期間では企業や製品の成長をリードしてくれないかもしれません。ただ、その真摯な姿勢は時間の経過とともに確実に顧客からの信頼や社員の満足に繋がり、結果として持続的な成長を促すに違いありません。

<参考>※URL最終閲覧2022.7.22
1) The Whitehouse President Barack Obama, THE PRECISION MEDICINE INITIATIVE (https://obamawhitehouse.archives.gov/precision-medicine
2) Medical tribune, 時代の変化を問う:EBM神話の終焉とPrecision medicineの裏側, 2017.1.5(http://www.drnagao.com/img/media/related_article/medicaitribune20170105.pdf
3) eyeforpharma, Patient-Centric Profitability: Pharma’s Global Survey & Analysis A discussion of results from The Aurora Project, 2016
https://www.patientengagement.guide/pegb/guide/peg_literature/10866/White_Paper_Eyeforpharma_PatientCentricProfitability_WP_V10.pdf
4) ダニエル・ピンク著, 大前研一訳, ハイコンセプト, 三笠書房刊, 2006年


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