スペシャルティ領域における、事業シナリオ構築のためのデータ活用

スペシャルティ領域における、事業シナリオ構築のためのデータ活用

プライマリケア市場の成熟化により、製薬企業各社はスペシャルティ領域へのシフトを進めている。「プライマリ領域と比べ、スペシャルティ領域は活用できるデータに限りがあり、マーケティング活動の評価を工夫する必要がある」と、武田薬品工業で消化器領域の希少疾患マーケティングを担当する渡辺太郎氏は指摘する。全社のビジネスインテリジェンス機能を担う小川雅宏氏は、「活用できるデータを総動員して分析することで、売上向上に資する示唆を得られる」とデータ活用の意義を示す。
両氏に、製薬企業のデータマーケティングの現状と今後を聞いた。

データを活用しビジネスモデルの変化に対応

― お二人が所属する部署のミッションや機能は?

<小川氏> 私が所属するInsight・Planning & Development部が主に担っているのは、社内のビジネスインテリジェンス機能。疾患領域ごとに設置されているビジネスユニット(BU)を、横断的にサポートする業務を担当している。各BUのマーケティング部門と協業して、彼らのビジネス課題に対するインサイトを提供する。BUによって、ビジネス課題やAvailableなデータが異なるので、求められる機能は変わるが、フォーキャストやマーケティングリサーチを通じて、ビジネス機会の探索、KPIの妥当性検証、プロモーション活動の効果検証など、様々な課題に対応している。

<渡辺氏> 私は、消化器領域のスペシャルティ製品のマーケティングを担うGIスペシャルティビジネスユニット(GISBU)に所属している。上市前の新製品のローンチ戦略や、GISBU全体のポートフォリオのデータマネジメントを担当し、各製品の売上のフォアキャストやプロモーション活動の仮説検証などを主な任務としている。例えば、IPD部が構築したフォアキャスティングモデルに、マーケティング部から各種アサンプションを提供しているが、その際にプロモーション活動量やメッセージの浸透率、処方意向なども検討することで予測精度を高めている。

― データ活用に注力するきっかけや動機はあったか

<渡辺氏> データを活用したマーケティング活動の評価がより強く求められるようになった大きな背景には、スペシャルティ領域へのシフトによるビジネスモデルの変化がある。十年ほど前は、プライマリケアがビジネスの主体で、多くのMRによりSOV(Share of voice)を上げることが売上や利益の向上に繋がるケースが多かった。また、疾患の患者数及び治療に従事する医師数も多く、データ量が豊富なため検証が比較的容易であった。
一方、スペシャルティ領域では、SOVよりも面談の質を重視される傾向にある。どのような活動が効果的で、成果に結びつくのか、プライマリ領域よりも限られたデータの中で検証が必要で、データマーケティングの重要性が以前にも増して高まってきた。MR活動、ウェビナーやオウンドメディア、ペイドメディアといったプロモーション活動などのアクティビティをCRMで把握した上で、製品のキーメッセージ浸透率、医師の処方意向などを加味し、データに基づいて売上への影響を分析している。

スペシャルティ領域のデータ検証

<小川氏> 人材育成や中途採用が進んだことも背景にある。データ活用人材が増えたことで、データ活用文化が組織に浸透し、組織としてデータ活用のケイパビリティが向上した。グローバル展開を強化する中、戦略精度や、実行力の向上のために、データ活用の必要性が高まっている。

スペシャルティ領域におけるデータ収集の限界

― スペシャルティにシフトすると、データの活用方法やシナリオは変わるのか

<渡辺氏> プライマリ領域に比べ、スペシャルティ領域はデータ活用に限界があるのも事実。製品を処方する医師も患者数も少ないので、十分なデータ収集が難しい。
例を挙げると、メッセージの浸透率を市場調査で評価する場合、対象疾患を治療する医師数を十分に確保することが難しい。また、売上データは効能別に分けることができず、多数効能を持つ製品が存在する市場を直接評価することはできない。レセプトデータについては含まれる患者数が少ないので、精緻なデータにはなり得ない。

<小川氏> 希少疾患では、対象患者数が数百人という疾患もあり、セカンダリデータだけでは限界がある。プライマリ調査、In-houseデータなど、さまざまなデータを活用して、足りない情報を埋めていく必要がある。データが限られるからこそ、活用できるデータを総動員し、分析結果に裏付けられたシナリオを構築する必要がある。利用できる情報が少ない状況は各社同じなので、その中でどのように工夫するのかが重要である。

― 具体的に、どのようなデータをどのように活用しているのか

<小川氏> ビジネス課題に応じて、市場データ、レセプトなどのリアルワールドデータ(RWD)、定量調査などのプライマリ調査、In-houseデータなど、様々な選択肢の中から適切なデータを活用していく。
KPIの検証では、RWDを基に患者さんごとの処方フローを分析し、売上に対するインパクトを定量化し、KPIとしての妥当性を確認した。売上インパクトの定量化により、KPIの重要性が確認できる意義は大きい。
分析を実施していく際には、サンプル数が多く、偏りが無い事が理想的だが、希少疾患では限界がある。利用するデータの特徴を理解し、そのデータの利用可能性と限界を認識した上でデータ分析結果を解釈していく必要がある。

<渡辺氏> 売上データは地域別に把握可能だが、適応疾患別の売上までは分からないため、レセプトデータと組み合わせることで市場や患者数の解像度を高めている。
例えば、売上とレセプトデータなどを組み合わせて自社品と競合品のシェアを比較し、“完璧ではないが可能な限り精緻な答え”に近づくようにしている。診療医特定に関しては希少疾患の場合、学会情報データベースなどのデータを活用し、候補となる医師をリストアップしている。ただ、データからは、「実際に患者さんを診ているか」までは分からないので、承認後のMR活動と組み合わせてリストを精緻化していく必要がある。

― 限られたデータでも、複数のデータを組み合わせることで仮説検証が可能になるということ。では、データの精度が課題になるのでは?

<渡辺氏> 精度が高いに越したことはないが、活用できるデータ量やコスト、工数などを踏まえ、現実的な判断が必要になる。スペシャルティ領域は、プライマリ領域よりは精度が落ちるが、与えられた条件で最大限の分析をしてビジネスを評価していくことはできると考えている。

<小川氏> 複数のアングルから精度を検証することが大切である。
例えば、複数のデータソースで同一事象を確認し、数字の幅を確認する。同一事象について異なるアプローチで試算を実施したり、その結果を公開情報と比較することで結果の確からしさを確認する。
当然、精度は高い方が良い。但し、その前に考えるべきことは、どのようにデータを意思決定に活用するのかという視点である。それによって、今知りたい情報がどの程度の精度、粒度を必要としているのか判断することができる。

<渡辺氏> 単純化すると、製品の売上は、投与対象となり得る患者数×製品の患者シェア×患者1人あたりの薬価で算出できる。予測と実数値に乖離が出たとき、その原因を十分に検証して次のアクションに繋げていく必要があるが、希少疾患はデータの限界もあり、明確な回答を得る検証が難しい場合がある。例えば実績が予測より低い場合、新規患者数が想定より少なかったのか、自社のシェアが低かったのか、脱落が多かったのかなどを限られたデータで正確に捕捉するには限界がある。

データをもとにシナリオを探索し、売上に貢献

― 売上に対するインパクトという観点で、データの有用性をどのように判断しているか

<小川氏> データの活用により、ある程度市場の可視化が進むと、売上向上につながる成長ドライバーが見えてくる。市場拡大が見込めるのか、シェアの向上が見込めるのか。
市場拡大については、例えば診断率や治療率など、どこに改善余地があるのか確認できる。
シェア向上を検討する上でも、新規症例を増やすのか、切替症例を増やすのか、処方継続率を高めるべきか、など具体的に掘り下げることができる。シェアを数量シェアという観点で考えるなら、患者さん毎の処方量の増加という考え方もできる。

<渡辺氏> 製品力のみで予想される売上トレンドに対してプラスアルファを創出するために、シェア拡大や市場拡大に資する施策を作るのがマーケティングの仕事と認識している。製品の差別化ポイントを特定し、MRやデジタルなど顧客に適したチャネルでディテーリングを進め、メッセージの浸透を図る必要がある。
MRが効果的なメッセージを伝えられるように定期的に方針会議を開催し、資材についても紹介している。医師と話すべき適切な患者像、それを伝えるためのキーメッセージを設定し、活動結果をCRMに入力してもらうことでメッセージの浸透率、顧客マインドの変化等と合わせて評価し、戦略に反映させ、PDCAサイクルを回している。

データドリブンな2wayコミュニケーションを強化

― データやデジタルチャネルを活用し、製薬企業のマーケティングはどのような方向に進むべきと考えるか

<小川氏> 様々な企業のRWDを一元化して、量を増やすことができれば、今まで見えなかったインサイトを抽出できる。患者さんにとってより適切な治療がRWDで分かれば、救える命が増えたり、健康寿命が延びたりといった貢献ができる可能性がある。
また、将来デジタルチャネルが更に発展することで、医師が適切な情報をリアルタイムに把握できるようになれば、患者さんが、どこの地域の、どの医療機関でも、適切な治療を受けられる環境が実現されるかもしれない。

<渡辺氏> 顧客へのマーケティングという観点では、「ポストCOVID-19のプロモーションモデル」の構築が最重要テーマ。スペシャルティ領域においてもMRを中心的なチャネルとして戦略を組み立て、デジタルチャネルを活用するプロモーションが主流だったが、COVID-19以降はこの前提が変わっていくだろう。MR活動が制限され、Paid Mediaの活用が加速したが、投資に見合うだけの効果があったのか、チャネルごとにプロモーション効果の検証を進める必要がある。マーケティングオートメーションの推進も全社的に進んでいる。

今後医師との面談が難しい環境が続く中で、企業から一方通行で情報を発信する「1wayコミュニケーション」より、双方向で向き合う「2wayコミュニケーション」の機会を確保することが、より重要になってくる。対面だけでなく、テクノロジーの進化でオンラインでのコミュニケーション方法が多様化し、デジタルに対する顧客のマインドも前向きになっている。データドリブンな2wayコミュニケーションでドクターのニーズを引き出し、適切な情報発信や提案をしていく。これまで我々が進めてきたことだが、データを多層的に活用することで、さらにその精度を高めていく。

1wayコミュニケーションから2wayコミュニケーションへ

<取材協力>
武田薬品工業株式会社
Insight・Planning & Development部
主席部員
小川 雅宏 氏

武田薬品工業株式会社
GIスペシャルティビジネスユニット マーケティング部
主席部員
渡辺 太郎 氏

▷そのほかの「医薬品デジタルマーケティングへの提言」シリーズは こちら