ヘルスケア事業拡大に向けた国の動きと、これからの企業への期待

ヘルスケア事業拡大に向けた国の動きと、これからの企業への期待

2024年7月19日、公益社団法人日本マーケティング協会(JMA)の社会問題解決型BX(ビジネス・トランスフォーメーション)セミナー「ヘルスケアビジネス研究会」が開催されました。この 研究会は、産学官の有識者が集まり、ヘルスケアビジネスの現状を把握し、実務的な示唆を得ることを目的としています。

1つ目の講演には、経済産業省の主導する日本医療研究開発機構(AMED)の「ヘルスケア社会実装基盤構築事業」のプログラムスーパーバイザーで、京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻健康情報学分野教授の中山健夫氏が登壇しました。

本レポートでは、この講演で解説された国によるヘルスケア事業推進の動き、企業の取り組みを盛り上げるための強力な支援体制の構築状況を紹介します。

国が推し進めるヘルスケア事業。目指す社会の姿とは

演者の中山氏は、社会でのヘルスケアサービス活用につなげるために、疾患予防や健康づくりのエビデンスを構築し、評価する環境を整備する「ヘルスケア社会実装基盤構築事業」の総合責任者です。

中山氏はまず、少子高齢化や死因の変化、それに伴う国民医療費や介護負担の増大など、この事業の実施背景について概説しました。例えば、「認知症の発症」には高血圧や糖尿病といった生活習慣病、過剰飲酒、喫煙、身体不活動、社会的孤立などが影響するなど、生活習慣や環境要因が疾患に及ぼす影響も分かってきています。

こうした要因から、国の施策においても疾患予防が重視されるようになりました。特に、疾患にならないようにする「一次予防」、すなわち健康づくり(ヘルスプロモーション)は、国の指針でも大きく取り上げられています。

厚労省の健康日本21(第3次)―健康増進への行動介入と環境整備を推奨

厚生労働省は、2024年度から2035年度までの指針となる「健康日本21(第3次)」で、「健康寿命の延伸・健康格差の縮小」を大目標にかかげています。

中山氏スライド/厚生労働省資料より改変引用
中山氏スライド/厚生労働省資料より改変引用

注目すべきは、生活習慣の改善が重視されている点です。生活習慣に関連する制度には、特定保健指導、健康づくりセンターなどが既にあります。また、「自然に健康になれる環境づくり」、つまり環境要因への介入例として、たばこの自動販売機の減少、遊歩道の整備などの取り組みが挙げられます。
 
中山氏は、「病気の原因は、人間の体の中だけにあるのでなく、体の外にも実はさまざまな健康への障壁があり、その相互関係が大事。これらは誰もがアクセスできる健康増進のための基盤整備であり、ライフコースアプローチという考え方が重要」と話します。

内閣府の骨太の方針―「ヘルスケアサービスの創出」を推進

内閣府も、2024年6月に公表した「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)2024」で、ヘルスケアサービスの創出を推進することを強調しました。具体的には、以下のように述べられています。

予防・重症化予防・健康づくりの促進
健康寿命を延伸し、生涯活躍社会を実現するため、減塩等の推進における民間企業との連携、望まない受動喫煙対策を推進するとともに、がん検診の受診率の向上にも資するよう、第3期データヘルス計画に基づき保険者と事業主の連携(コラボヘルス)の深化を図り、また、予防・重症化予防・健康づくりに関する大規模実証研究事業の活用などにより保健事業やヘルスケアサービスの創出を推進し、得られたエビデンスの社会実装に向けたAMEDの機能強化を行う。元気な高齢者の増加と要介護認定率の低下に向け、総合事業の充実により、地域の多様な主体による柔軟なサービス提供を通じた効果的な介護予防に向けた取組を推進するとともに、エビデンスに基づく科学的介護を推進し、医療と介護の間で適切なケアサイクルの確立を図る。また、ウェアラブルデバイスに記録されるライフログデータ(睡眠・歩数等)を含むPHRについて、医療や介護との連携も視野に活用を図るとともに、民間団体による健康づくりサービスの「質の見える化」を推進する。 
(「経済財政運営と改革の基本方針2024 第3章 中長期的に持続可能な経済社会の実現」より引用、強調は中山氏による)


骨太の方針は経済面に焦点を当てた指針ですが、ヘルスケアについても強調しています。製薬企業も含め、ヘルスケア事業に取り組む企業は、今後、この方針に基づいてさまざまな政策が動くことを理解しておく必要があります。

ヘルスケア事業のエビデンス構築には道筋が存在しなかった

国を挙げたヘルスケア事業の推進が表明される一方、従来、ヘルスケアサービスではエビデンスの不確かさが問題となる事例が多かったと、中山氏は指摘します。
 
ヘルスケア領域の現状について、「私達はいつも、製薬事業と対比して考えています。厚労省系の製薬領域は、今までに失敗を重ね、医師と製薬企業の癒着などの問題も経験してきたので、レギュレーションが極めて整っています。薬のエビデンスを創出できれば、保険適応を得られるという流れも従来はありました。しかし、ヘルスケアサービスではその保証がありません。そのため、エビデンスをビジネスに反映するのが難しいのです」と、中山氏は説明。「ヘルスケア領域の現状は玉石混交です。製薬領域の良い面を取り入れて、水準を少しでも上げていきたい」と話しました。
 
この数年、各省はヘルスケア領域のエビデンス不足に関する課題整理を重ねており、その中で「製薬領域の制度と見比べつつ、ヘルスケア領域の特性を反映したヘルスケアサービスの評価基準が必要」という機運が高まっています。

AMEDによるヘルスケアサービスのための指針作成と研究支援

ヘルスケアサービス事業のエビデンス創出の課題を解決するためのひとつとして、2024年、AMEDによる研究支援事業「予防・健康づくりの社会実装に向けた研究開発基盤整備事業(ヘルスケア社会実装基盤整備事業)」が開始しました。AMEDは、文部科学省・厚労省・経産省が独自に行っていた医療分野の研究開発を、一元的に担う国立研究開発法人です。

「ヘルスケア社会実装基盤整備事業」の流れと対象領域

ヘルスケア社会実装基盤整備事業は、ヘルスケアサービスの社会利用までのフェーズのうち、「エビデンス構築」「オーソライズ」の2フェーズで研究支援を行います。具体的には、ヘルスケアサービスに関する指針の策定(分野1)、ヘルスケアサービスのエビデンス構築のための研究アプローチの開発支援(分野2)です。

「ヘルスケア社会実装基盤整備事業」の流れと対象領域
編集部作図

分野1は、これまでの研究から分かっている知見を整理し、現時点で推奨できるものを決め、指針として策定します。指針の利用者は、医療従事者、サービス事業者、サービス利用者など、サービスに関わる幅広い人を想定。現在は以下の領域に注力しています。

  • 中年期:高血圧、糖尿病、慢性腎臓病
  • 老年期:認知症、サルコペニア・フレイル
  • 職域の健康問題:女性の健康、メンタルヘルス

分野2は、これからエビデンスを構築していくにあたって必要な、方法論や指標などを開発する研究を支援します。

関連学会が指針をオーソライズし、ヘルスケアクエスチョンを作成

本事業の指針では、ヘルスケアサービスを「行動変容介入を示しており、非薬物的介入で一次予防等の観点から疾病リスクを低減するもの」と定義しています。つまり、食生活、運動、睡眠、ストレスマネジメントなどの変化・維持に関与するサービス全般が該当します。この中には、アプリやウェアラブルデバイスを用いたデジタルヘルスケアも含みます。

なお、2024、2025年度の事業対象には、健康管理アプリによる情報提供・セルフモニタリング・コミュニケーション、栄養・睡眠・運動にかかわる公衆衛生的・臨床的介入が含まれます。

指針の策定には、それぞれの疾患に関連する各学会を代表した研究者が参画しています。中山氏はこの点について「学会がオーソライズした指針であることが重要。医療の世界では、この20年間、学会が作成した診療ガイドラインによってエビデンスのコンセンサスが形成されてきた。ヘルスケアサービスの指針も同様に、信頼できる主体が作成して初めて、コンセンサスが得られるだろう」と説明します。

ヘルスケア社会実装基盤整備事業
中山氏スライドより

指針には、ヘルスケアクエスチョンと、エビデンスのレビュー結果に基づくアンサーが記載されます。中山氏は、直近の研究発表会の成果から、以下のような例を挙げました。

ヘルスケアクエスチョン(HCQ)
成人に対するデジタル技術をもちいた血圧管理は、通常のヘルスケアと比べ推奨できるか。

この答えとして、例えば、カフ付きデバイスを使った家庭血圧の自己測定、直接的・間接的に血圧を確認するウェアラブルデバイス、個人の特性から予測・介入を行うAIツール、服薬リマインダー・血圧記録・オンライン診療予約などのアプリの間で血圧管理アウトカムを比較し、何らかの推奨を提示できるといえます。
 
2024年11月頃には、最初の指針が公開される予定だと中山氏は説明しました。

製薬企業のヘルスケアへの取り組みは既存の開発経験と新たな視点の組み合わせがカギ

中山氏は、ヘルスケア事業に取り組む製薬企業や医療機器企業に対し、「規制の整った医療分野は、さまざまな法律や規制があって難解である一方、見通しも立てやすいことが特徴。その経験を医療分野の外でどのように活かすか。つながる部分もあるが、切り分けるべきところは切り分ける意識も大事」とコメントします。
 
例えば、ヘルスケア領域ならではの考え方として、本セミナーの講演3では、ヘルスケアアプリ「あすけん」において、新機能をユーザーの一部だけに提供し、既存機能と新機能の効果をABテストで比較検証しているという事例が紹介されました。これに対し、中山氏は「実際のユーザーを対象とした『living online RCT』であり、その結果をサービス改善に迅速に反映できる。製薬企業の薬剤開発ではできない手法である」と話します。

近年は、製薬企業でも人々の健康や生活に関わる理念を掲げ、『患者中心(patient centricity)』のアプローチとしてヘルスケアサービスに取り組むケースが増えています。

製薬企業は、まずはデジタルヘルスケアと、自社のコア事業である医薬品を掛け合わせる領域からアプローチを考えるとよいだろう。次のステップとして、遠い事業との掛け合わせを考えると新しいチャンスやヒントが見つかるかもしれない。全ての分野・事業は、生活の基盤である健康に通じるものだから、思ってもみない事業と掛け合わせることで、新しい価値を発見できる可能性があるだろう」と、中山氏はエールを送ります。

取材協力:公益社団法人日本マーケティング協会