医療用医薬品の売上には、さまざまな要因が関わります。例えば、医療制度の変化や薬価改定、競合品の上市など、多くの要因が自社医薬品の売上に影響を及ぼします。そのため、製薬業界を取り巻く環境変化を適切に分析することが、自社医薬品の最適なマーケティングプランの策定や売上アップに欠かせません。本記事では、その代表的なフレームワークであるPEST分析の概要や進め方を解説します。
PEST分析とは?
PEST分析とは、マーケティングの大家であるフィリップ・コトラーが考案したマーケティングのフレームワークの一つです。PEST分析は主に、ビジネスにおけるマクロ環境を分析する際に汎用されるフレームワークです。マーケティングでの製品戦略だけでなく、事業戦略や経営戦略など、製薬企業の多くの階層で用いられています。
PEST分析は、戦略やマーケティングプランの策定時に一番初めに行う分析です。
PEST分析の目的
企業の経営や製品の売上は、ビジネス環境の変化に大きく影響を受けます。医療用医薬品の場合、例えば薬価が改定されれば売上に直接影響が出ます。毎年薬価改定に変更されてからは、毎年売上がダウンすると見込まれます。そのため、年間の新患獲得人数の目標を毎年見直さざるを得ません。しかし、新たな臨床試験データが出ない中、どのようにして自社医薬品を第一選択薬にポジショニングするのかに頭を悩ませている方も多いのではないでしょうか。
PEST分析は、このような環境変化をPESTというフレームワークに従って情報を収集し、整理することで課題を見える化し、その重要性を評価しやすくする分析方法です。このことで、自社や自社医薬品にとっての脅威やチャンスとなる要因をいち早く把握できるようになります。PEST分析は、マーケティング戦略の前提となる重要な分析です。
PEST分析の詳細項目
PEST分析とは、下記の4項目の頭文字を取って名付けられています。
- P(Politics:政治的要因)
- E(Economy:経済的要因)
- S(Society:社会的要因)
- T(Technology:技術的要因)
P(Politics:政治的要因)
この項目には、政治、法律、条令などが該当します。製薬業界なら、医療法、薬機法、医師法、薬剤師法などの法改正が直接的あるいは間接的に影響を及ぼします。
例えば、2015年の医療法改正で制度化された地域医療連携推進法人制度によって、病院完結の医療から地域完結の医療に変化、在宅医療の浸透、地域医療連携推進法人による共同購入が始まるなど、新たな変化が生まれています。キーアカウントマネージャーの設置など、製薬企業の活動などにも変化が見られました。
2021年5月28日には医療法が改正・公布され、医師の時間外労働時間を削減し、積極的なタスク・シフティングやタスク・シェアリングによって生産性を向上させる取り組みが既に始まっています。この医師の働き方の変化の中で、MRがどのようにして医師との面談時間を獲得するかの検討が必要です。この変化も、政治や法律の改正によって生じた変化です。
これらの変化に対応するには、医療や製薬業に関する日々のニュースに興味関心を持つことが欠かせません。業界紙等から積極的に情報を得ていきましょう。また、政府の骨太の方針も確認が必須です。なぜなら、骨太の方針において医療は国の重要な政策の一つと位置付けられており、社会保障と税の一体改革や高齢者医療について常に検討が進められているからです。日本の予算にも政府の方針として議論の結果が反映されてきました。前述の医療に関する法律の改正も骨太の方針の影響を受けています。
E(Economy:経済的要因)
この項目では、景気・消費・金利・賃金などの動向、デフレやインフレなどの物価の変化、消費者の購買意欲と消費行動などの情報を収集します。
製薬業界であれば、主に患者さんの受療行動の変化に注目します。データソースとしては、厚生労働省の「 受療行動調査 」があります。 統計要覧一覧 も参考になるデータがあります。
患者さんの受療行動の変化の背景には、日本の景気の変化に伴う就業状況の変化もあります。収入の増減などにも影響が出ます。このような情報は総務省統計局がデータを公開しています(例: 労働力調査 )。このような患者さんの受療行動に関するデータを集めておくことは、患者さんの受療行動の、より正確な把握につながります。
S(Society:社会的要因)
この項目では、日本の人口の推移、少子化、高齢化、社会のトレンド、日本全体および都道府県ごとの人口の増減、都道府県ごとの年代別人口や世帯所得などのデータを分析します。例えば、都道府県ごとに年代別の人口は異なります。高齢者の比率が高く人口も多い地域では、生活習慣病治療薬や認知症治療薬のターゲット市場になりえます。総務省統計局の 全国家計構造調査関連情報 のデータによれば、都道府県ごとに世帯の平均所得が全国1位と最下位の都道府県では年間で2百数十万円の差があることが分かります。この差は、高薬価の医薬品の売上にも影響することが考えられます。
このように都道府県ごとに人口や年代別人口に着目すれば、例えばNational Data Baseの全都道府県の処方医薬品の売上金額をさらに細分化して分析することも可能になります。それによって、マーケティングプラン策定時に地域ごとに最適化されたマーケティングプランを展開できるようになるでしょう。
社会的要因に関するデータは膨大になりますが、その中でも変化しているデータに着目し、収集・分析を深めることで、PEST分析を効率的に進められます。
T(Technology:技術的要因)
この項目では、さまざまな新しい技術の開発や市場への浸透などの情報を集めます。例えば、新たなITやAIといったデジタル技術、5Gの高速データ通信網の整備などが該当します。製薬業界ならば、アンメットメディカルニーズを満たす全く新しい医薬品の開発と上市、新たな診断法や治療法の開発、ITツールの導入によるプロモーション効率の向上、デジタルヘルスのツールやデータなど、新たな医療関連の情報もしくは医療をサポートしてくれる新たな技術関連情報を収集します。
例えば、日本では次世代医療基盤法の改正に伴い、匿名化された個人情報とその個人の健診・受診情報が紐付けられ、いわゆる医療ビッグデータとして活用されることが見込まれています。医薬品であれば、これまでは地域限定的にしか得られなかった処方薬の使用実態下における副作用の発現の有無や重篤度などを、これからは全国を網羅しながら新たなデータとして入手可能となりつつあります。このようなさまざまな分析に活用できる新たなデータの登場も、しっかり情報を集めましょう。
技術的要因は、製薬企業にとって今後の新薬開発等の生命線です。と同時に、医療者側も新しい技術やデータによって、彼らの購買行動が瞬く間に変化することもあります。技術的要因の情報を見落とすと、自社の今後のビジネスに大きな影響を及ぼす可能性もあります。
製薬マーケティングでPEST分析を行う具体的な4ステップ
ここでは、実際のPEST分析の進め方を具体的に解説します。
① PESTの各情報を集める
まずはPESTそれぞれに広く情報を集めます。その際重要なことは、事実や実際のデータ、出典が明らかな情報を集めるということです。データソースも公的機関や調査機関のレポートなどを集めます。個人のブログなどをデータソースにすることはあまり好ましくありません。患者さんの受療行動の変化を患者さん個人のブログで見つけても、それが患者さんの受療行動の変化の全体像を示すのかを裏付けるデータを集める必要があります。正しい情報のみを集めることで、正しい分析結果を導き出すことができるようになります。
② 集めた情報を事実と解釈に分ける
次に、収集した情報を「事実」と「解釈」に分けます。前述の①の作業中にさまざまな情報を集めていくと、おぼろげながら将来について予想が立てられることもあります。そのような個人の感想や解釈は、ここでは「解釈」に分類します。裏付けがある情報やデータのみを「事実」に分類していきます。
データも、so what?(だから何なのか?)とwhy so?(なぜそうなのか?)の観点で吟味することが重要です。例えば、ある医薬品の売上が伸びているという事実があっても、これだけではPEST分析では使いにくいままです。できれば、その医薬品が3年前に比べて売上が20%アップ、シェアが23%アップ、その際の市場の伸びは19%なので、市場の伸び以上にその医薬品は売上が伸びている、などと説明できるくらいの情報の粒度と正確性、論理性が必要です。
また、「事実」の情報の中でも、トレンドがアップトレンドなのかダウントレンドなのかの整理もこの段階で行っておきます。
③ 事実を機会と脅威に分ける
事実に分類された情報は、そのままでは機会と脅威が混在しています。そこで次に、事実を「機会」と「脅威」に分けます。この作業で、ある事実が自社及び自社医薬品にとってチャンスとなるのか、リスクとなるのかが分かりやすくなります。
その次に、分類された「機会となる事実」と「脅威となる事実」が、それぞれどれくらいの影響を与えうるかの評価も行います。この評価では、どの事実も重要な事実に思えますし、正確に評価しようとしがちになります。ですが、ここでの評価は必ずしも絶対に正確である必要はありません。分析する人の価値観によって評価は変化しますし、それらを他の人との議論の上で目線を合わせつつ評価を重ねていくことで分析の精度が高まります。むしろ、ある程度の確からしさで事実を高/中/低といった3段階くらいに分けることが重要です。その分類によって、それぞれの事実の因果関係や影響の度合いなどが新たに見えてくることもあります。
④ 時間軸(短期と長期)で分ける
ここまで整理分類された事実や情報を、時間軸で見ていきます。多くの場合、「短期的」もしくは「長期」という時間軸で分けます。前述の影響の及ぼす範囲という軸もあるでしょうし、緊急度、重要度といった軸も考えられます。短期的に及ぼす影響が大きい事実は、優先順位を高めて対策を練ることが必要になります。
また、ビジネスでは緊急ではないが重要な事実や課題もあります。担当している医薬品の対象疾患やビジネス状況によっては、この点を吟味する必要もあります。
PEST分析の注意点
これまで見てきたように、PEST分析は自社や医薬品を取り巻く環境を分析・評価するための分析方法です。短期的な計画の策定や自社内部をフォーカスする分析ではありません。それらのためには、別のフレームワークを活用します。
また、事実の裏付けとなるデータや出典にこだわって、高い正確性を担保するようにします。
PEST分析以外のフレームワークも活用
PEST分析は、他のフレームワークと組み合わせて使うと効果的です。社外のビジネス環境をPEST分析し、社内のリソースや強み弱みをSWOT分析すれば、両方の分析結果から社内の強みをビジネス環境の機会にマッチさせることでビジネスを成長させることができるかが検討できるようになります。逆に、ビジネス環境の脅威が自社の弱みにマッチした際、どの程度ネガティブな影響が出そうかも検討可能になります。
PEST分析を3C(顧客(Customer)、競合(Competitor)、自社(Company))分析と組み合わせて分析することも可能です。PEST分析で得られたビジネス環境を顧客・競合・自社それぞれにどのような影響を、どれくらい及ぼすか、どこに勝機があるか、新たに生じる弱点はあるかなどの視点も戦略立案には欠かせません。
PEST分析を製薬マーケティング戦略に役立てよう
これまで見てきたPEST分析をつくったフィリップ・コトラーは、PEST分析以外にも5A理論(認識(aware)・印象(appeal)・調査(ask)・購買(act)・推奨(advocate))やSTP分析(セグメンテーション(Segmentation)・ターゲティング(Targeting))・ポジショニング(Positioning))といったフレームワークを作り出し、世界中のマーケティングで汎用されています。コトラーはこれらのフレームワークを通じて、マーケティングではさまざまな情報を集め、環境やプロセスなどをきちんと整理し、現状を適切に把握することが大切であるということを示しています。
戦略は自分の強みを最大限に発揮し、相手の脅威を最小化することで勝つために実行されるプランです。戦略では誰と戦うか、どこで戦うか、どのように戦うか、どのようにして勝ったことを知るかが欠かせません。そのためにビジネス環境の分析にPEST分析を駆使することは、マーケティング戦略立案の第一歩です。ぜひご活用ください。
<参考>
(2021年8月13日最終閲覧)
・厚生労働省、受療行動調査(
https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/34-17.html
)
・厚生労働省、統計要覧一覧(
https://www.mhlw.go.jp/toukei/youran/
)
・総務省統計局、労働力調査(基本集計) 2021年(令和3年)6月分結果 (
https://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/index.html
)
・総務省統計局、全国家計構造調査関連情報(
https://www.stat.go.jp/data/zenkokukakei/2019/kekka.html#kekka
)
【プロマネTips.2】医薬品のマーケティング戦略はどう考える?ポジショニング志向のススメ/コラム 【プロマネTips.5】 製薬企業のプロマネが知りたいマーケティング成功事例の本質は?