検診受診率アップ!無断キャンセル回避!医療で使えるナッジの力

望ましい行動をとるように促すことができる手法として、注目を集めるナッジ。世界各国の企業や行政などでの活用が進み、医療現場でもナッジを活用した介入が行われており成果を上げています。本記事では、健康・医療分野でのナッジの事例を多数取り上げ、その効果や可能性を探ります。

ナッジとは、行動変容をそっと促すアプローチ

ナッジ(nudge)とは、直訳すると「ひじで軽く突く」という意味で、強制的にではなく自発的に望ましい行動をとるようそっと後押しする、行動経済学や行動科学に基づいたアプローチのことをいいます。2017年にシカゴ大学のリチャード・セイラー教授が「ナッジ理論」でノーベル経済学賞を受賞したことで、世界中で大きな注目を集めることになりました。

近年、ナッジを公共政策や企業活動で活用する取り組みが各国で行われています。ナッジの成功例として有名な例が、アムステルダムのスキポール空港の小便器に描いた1匹のハエです。「人は的があるとそこに狙いを定める」という心理に基づいて、小便器内に正確に用を足してもらうために仕掛けた工夫です。利用者は無意識にハエを狙って用を足すため小便の飛び散りが軽減し、清掃費が2割削減されたという結果が報告されています。従来のように「トイレをきれいに使ってください」と働きかけるよりも効果的であることが証明されました。

また、香川県の小中学校では、新型コロナウイルス対策でのフィジカル・ディスタンシング(身体的距離の確保)の啓発に、地元特産の「引田ぶり」を用いたユニークな取り組みが行われました。人と人との距離の目安である2mを引田ぶり2匹分(引田ぶりの大きさは約1m)と定義し、「わたし・ぶり・ぶり・あなた」という合言葉とともにイラストで示しました。住民にとって普段から身近な存在であり愛着のある魚を用いたことで、小さな子どもでも感覚的に理解できるようにしています。

健康・医療関連でのナッジの事例5つ

行動変容をそっと促すナッジは医療分野との相性もよく、すでに数多くのナッジを活用した介入が行われています。ここからは、健康・医療分野でのナッジの事例を5つ紹介します。

<事例1>日時指定でインフルエンザワクチン接種率が上昇

Chapmanらが米国で行った研究では、インフルエンザのワクチン接種の呼びかけについて、接種可能な複数の日時を知らせて利用者が希望する日時を選んで自主的に予約する方法と、接種日時をあらかじめ仮決めし指定した日時での接種を呼びかける方法とで、どちらが効果的かを検討しました。

その結果、後者の方法でより接種率が高くなったことを示しました。一見、都合の良い日時を選べる前者のほうが利用者に配慮しているように思えますが、「複数の候補日から日程を選ぶ→予約する→訪問する」という3つのステップを経る必要があります。一方、後者での必要なアクションは「指定された日時に訪問する」だけです。利用者の負担を大幅に減らしたことが、接種率上昇につながったといえます。
Chapman GB et al, BSP 2016;2(2):40-50.

<事例2>損失を感じさせるメッセージで大腸がん検診の受診率アップ

大腸がんの早期発見には毎年のリピート受診が大切です。東京都八王子市では受診対象者をAとBの2つのグループに分け、Aグループには「今年度に大腸がん検診を受診された方には、来年度も『大腸がん検査キット』をご自宅にお送りします」という利得メッセージを、Bグループには「今年度に大腸がん検診を受診されないと、来年度ご自宅へ『大腸がん検査キット』をお送りすることができません」という損失メッセージを、大腸がん検査キットとともに送りました。その結果、利得を伝えたAグループよりも、損失を伝えたBグループでの受診率が高まることがわかりました(受診率:Aグループ22.7%、Bグループ29.9%)。

これは、人は1,000円得したときの満足感よりも1,000円失ったときの損失感のほうが2倍程度大きい、という損失を回避したい心理に訴えたアプローチです。本事例は、メッセージを変えただけでそれ以外のオペレーションを大きく変えることなく受診率を高めたケースとして、環境省などが主催するベストナッジ賞コンテストでベストナッジ賞を受賞しました。

<事例3>予約日を自分で記入し病院の無断キャンセルを防ぐ

病院の無断キャンセル防止にもナッジは使われています。Martinらの研究によると、受付スタッフが次回の予約日時をカードに記入して患者さんに渡すという従来の方法よりも、患者さん自身に次回の予約日時をカードに記入させるほうが無断キャンセルの防止に有効であることが示されました。あたかも患者さんが受付スタッフに対して次回の予約を守ると宣言している状況を作ることで、無断キャンセルすることの申し訳なさや恥ずかしさを感じやすくなるようにしています。
Martin SJ et al, J Royal Soc Med 2012;105(3):101-104.

<事例4>「あと5秒しかできない」で最後までしっかりトレーニング

NHKの「みんなで筋肉体操」では、残り時間のカウントダウンの際に、「あと5秒」と伝えるのではなく、「あと5秒しかできません」と残り時間を強調しつつ、トレーニングをしなかった場合のもったいなさや損失を強調した声掛けをすることで、最後までしっかりとトレーニングをやり切ることを働きかけています。また、それ以外にも、「キツくてもツラくない」「頑張るか、超頑張るか」などのやる気を引き出す声掛けを要所ごとに意識的に行い、視聴者の自発的な行動変容を促しています。

<事例5>「楽しいから」階段を使いたくなるスウェーデンの地下鉄

健康のためには階段がいいと分かっていても、そばにエスカレーターやエレベーターがあると、つい楽をしたくなりそちらを選んでしまいます。そこでスウェーデンのストックホルムにある地下鉄では、階段の利用率を上げるために、駅構内の階段の段差をピアノの鍵盤に見立て、上り下りをした際にピアノの音が出るようにしました。すると、「音が出て楽しい」と評判を呼び、エスカレーターよりも階段を使う人が普段よりも66%増加したそうです。「楽しさ」という小さなきっかけを与えることで、大きな結果を得ることに成功した事例です。

疾患啓発にナッジを活用しよう

人間の心理として、頭だけで分かっていることや相手から強制されたことは長くは続きません。さらに病気の治療や予防は、たとえ一生懸命に取り組んだとしても、成果がすぐには表れず費用や我慢・苦痛のほうが早くあらわれてしまうこともあります。そのため、健康や医療の分野ではとくに、自発的に望ましい行動をとるように促すことができるナッジの重要性が増していくのは間違いないといえるでしょう。疾患啓発を実施する際には、ぜひナッジの手法を試してみてください。


【参考】
明日から使えるナッジ理論(厚生労働省)
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000506623.pdf(2021年1月6日閲覧)
週刊 医学のあゆみ(医歯薬出版株式会社) 2020年11月21日 275巻8号