メディカル・アフェアーズは、現在では製薬会社にとって一般的な組織になりました。このコラムでは筆者の経験を踏まえ、これからのメディカル・アフェアーズに期待される機能について考察します。
今回は、デジタルがマーケティングに及ぼした大きな変化と顧客インサイト理解の重要性の高まり、そしてインサイト・ジェネレーションのためのメディカル・アフェアーズとマーケティングの機能連携について考えます。
(トランサージュ株式会社 代表取締役 瀧口 慎太郎)
SNSがマーケティングに与えた影響
SNSの普及で、商品提供者である“企業”が都合良く発信する情報は「顧客」にとって、陳腐で面白みのない形式的な情報になってしまった。
いま「デジタル」と聞くと、あらゆる話題をさらってしまいそうな「デジタル・トランスフォーメーション(DX)」を思い浮かべます。でも、デジタル時代の重要な転換点は、DXがこれほどに世の中で囁かれる少し前のソーシャル・メディアの普及にあります。
ご存知の通り、TwitterやFacebook、LINEといったSNSは、利用者の思いのままに、自分の発言をいつでもどこでも発信することができるメディアです。その発信は瞬く間に世界中へ拡散され、それを見た多くのユーザーがこれに反応する形で、さらにさまざまな発言や行動に展開されます。
SNSプラットフォームのそれぞれが世界中に何億というユーザーを持ち、ときとして国家の行方にまで影響を及ぼすほどに「大衆の声」はチカラを持つに至りました。
アパレルや化粧品、自動車、旅行…など多くの商品市場では、多くのフォロワーを持つインフルエンサーが発信するメッセージによって、確実なヒット商品が生まれます。このとき、商品提供者である“企業”が自分たちに都合良く発信する多くの情報は、SNSユーザーである市民=顧客にとって有り難みのある新鮮な情報ではまったくない、むしろ陳腐で面白みのない、信頼するに足りない形式的な情報だと見なされるようになってしまいました。
デジタルの進化は、購買行動プロセスを変化させ主客を転倒した
デジタルの進化は購買行動プロセスに「検索」と「共有」というステップを加え、マーケティングの主客を転倒した。こうした変化の企業への要請は、「市民=顧客が欲している情報を発信すること」であり、顧客が望む情報を発信することでようやく多くの顧客がその情報に耳を貸すようになる。
AIDMAとAISASという2つの購買行動プロセスがあります。この2つのプロセスは、これまでの時代とデジタルの時代のそれとして明確な違いを持っています。
AIDMAは、①商品を認知してもらうステップからスタートし、②商品に興味を持たせ、③買いたいという欲求を高め、④ブランドを脳裏に留め、⑤購入してもらう、というプロセスです。ここでは、商品提供者である企業の重要な役割は、「顧客が喜びそうなメッセージ」を「いかに効果的、効率的に顧客に訴えるプロモーションをするか」を考えることでした。
AISASになって購買行動プロセスに現れた変化は「検索」と「共有」というステップが加わったことです。これだけではAIDMAにあった欲求と記憶に置き換わったようにも見えますが、むしろ検索や共有というこれまでなかったステップが新たに加わったと理解するべきです。
インターネットやSNSの普及は、顧客自らが興味のある情報をいつでもどこでも簡単に入手できる環境を用意しました。「検索」は、「顧客が喜ぶだろう」と企業が勝手に考えて一方的に提供し続ける情報とは無縁に、この環境下で顧客自身が興味のある情報を自由に入手するステップです。
「共有」は、SNSや会員サイトのクチコミなどで、購入した商品の使用感などの情報を他の顧客に共有するステップです。顧客が企業発信の情報よりも他の顧客の共有する情報に信頼をおく結果、こうした情報共有は顧客の購入意欲形成のために非常に重要なステップになりました。
デジタルの進化は、このように購買行動プロセスを大きく変化させました。
デジタルの進化で起こった購買行動における主体と客体の転倒
そして、もう一つもたらした大きな変化が、購買行動における主体と客体の転倒です。
先述の通り、従来は、商品提供者である企業が語り手=主体となり、顧客が喜びそうな、顧客にとって「お得」と考えるメッセージを、受け手=客体である顧客へ提供していました。デジタル時代では、顧客の誰しもが勝手に「自分にとってお得」な情報を取得し、自分が主体(語り手)となって第三者と情報を共有することが、他の顧客の商品認知や購買意欲向上に繋がるという変化が起きました。
マーケティングにおける主体と客体の大転換は、こうして訪れました。
この主客転倒が企業に要請していること…。それは、一方的に「企業が考えるお得な情報」を発信することから、「顧客が欲しいと考えている情報の発信」への変化です。なぜならば、顧客が欲している情報を発信した時にようやく、多くの顧客が企業の発信する情報に耳を貸すことになるからです。
インサイトの把握の重要性と、DXが実現しようとしていること
「DX」で製薬企業が実現しようとしていることの一つは、「それぞれの顧客のインサイトを適確に把握すること」だが、一方でインサイトの把握はデジタルには限界がありヒトによる考察が欠かせない。
デジタル時代になって、マーケティングで重要視される要素にインサイトがあります。いまだに標準的な定義がないのですが、わたしは「顧客自身がなかなか言葉にしくい、心の奥の不安や悩みなど顧客にとっての潜在的な課題」あるいは「顧客自身もまだハッキリと認識していない、その人を動かす真の動機」とお話ししています。いい方を換えると、インサイトは「こうしたい、あれが欲しい」といったウォンツ、あるいは「ここを変えたい、ここが嫌だ」といったニーズと異なる、まだ本人にとってもおぼろげな意識です。
それらは本人の言動や行動から直接的に把握することはできず、その裏側にある理由を推し量り、どうしてその言動や行動に至っているのか、どうすれば期待する言動や行動に向かうのか、を考察する必要があります。
デジタル時代のマーケティングは、顧客ニーズのある情報を提供し、新しい顧客体験を創造することが重要と言われます。そのために欠かせないプロセスは、顕在化した行動や認識だけではなかなか読み解きが難しい「顧客のインサイト」を理解することなのです。
いま、「DX」という壮大な仕掛けに多くの製薬企業が投資をしています。このDXが実現しようとしていることの中心に「個々の顧客のインサイトを適確に把握すること」があります。
例えば、マーケティング・オートメーションは、顧客とのデジタル上(オンライン)の接点で、顧客それぞれのデジタル上の行動に合わせて、より嗜好性の高い情報を提供することで、マーケティング活動の適正化や効率化に役立ちます。セールスフォース・オートメーションもマーケティング活動の適正化や効率化に役立ち、こちらはセールスなどによる人対人の接点での活動のために、次の行動へのヒント、例えば面談日や面談時間、ロケーション、提供すべき情報などを与えてくれることでそれを実現します。
データ+ヒトによる考察でターゲットに適したインサイトを探る
ひと口にインサイトといっても、顧客それぞれに要素は星の数ほどあります。マーケティングで拾い集めるべきインサイトは「それぞれの顧客を最終的にとって欲しい行動に突き動かすインサイト」です。なぜならば、マーケティング・ゴールへ到達するために、最終的に顧客自らに期待する行動を起こしてもらうための「インサイト」が鍵になるからです。
例えばある顧客に期待する行動が自製品の処方とすると、その行動に影響を与える要素をある程度絞り込むことはできます。
①医師が薬を選ぶ時のクセや好みという、単純ながら変えることの難しい要素もあるでしょう。②若い頃にお世話になった方がいる企業への心情的な恩義、という事もあるでしょう。あるいは③過去に使用した製品による経験や評価、④医師仲間からの勧め、⑤医局でのレジメン、⑥ガイドライン、⑦インフォームドコンセント取得の容易さ…。
ここで記した要素は一部ですが、これらさまざまな要素が、顧客である処方医の心の中で影響し合い、最終的にあるブランドの処方という行為につながります。
こうした要素を把握するために手掛かりとなるものがデータです。必ず当てはまるとも限りませんが、①の製品選択のクセは処方箋データで傾向を掴むことができます。⑤のレジメンも売上データで施設採用品から推測できます。⑥のガイドラインはインターネットで確認可能です。
ただ、残念ながらその他の要素は、デジタル技術では補足ができません。また製品選択のクセやガイドラインの利用について、個々の医師の行動事実が明らかになっても、その行動の背景にあるインサイトは、デジタル・データだけでは把握できません。
つまりDXをどれだけ積極的に推進しても、顧客に期待する行動をとってもらうために必要なインサイトを把握するプロセスには「ヒトによる考察が必須」になり、このジレンマからは逃れようがありません。
組織的なインサイト・ジェネレーション
KOLデータベースをそれぞれの機能で持つのではなく、すべての機能がデータを共有して横櫛で考察を行うことで、より正確なインサイト・ジェネレーションが可能になる!
顧客の声に耳を傾けインサイトを考察することを「インサイト・ワーク」や「インサイト・ジェネレーション」と言ったりします。
デジタル・データ以外に、インサイトの手掛かりとなる顧客の行動や認識を把握する方法に市場調査があります。
インタビュー調査やウェブ調査といった手法で行われる市場調査は、多くの製薬企業で医師や薬剤師、患者などを対象に多数実施されています。
ただ、顧客のインサイトは、その顧客を取り巻く環境に大きく影響されて変化し続けます。例えばいま世の中を騒がせているコロナ・パンデミックを例に挙げても、国内外の情報やデルタ株の流行状況、近親者の陽性反応や入院などのさまざまな環境変化で、わたしたちの認識や価値観も揺れ動きます。したがって、顧客のインサイトは常に一定ではなく、継続的にそれを把握し続ける必要があり、そのために、いつも市場調査に頼っていては予算が膨大に掛かってしまいます。
これを解決するために重要なことが、顧客と接点を持つあらゆる社内ステークホルダーの努力を結実させることです。
一人の顧客に対して複数機能でアプローチ
本コラムの 第1回後編 では、組織内ステークホルダーによるゴールの共有と異なる機能の協働の重要性を指摘しました。
ある一人の顧客のインサイトを十分に把握するためには、一人で行うより複数人で行うほうが容易です。なぜならば、同じ顧客に接する機会が増え、多様な視点や価値観でその顧客を観察できるからです。 第2回 で指摘したように、マーケティングとメディカル・アフェアーズが時間軸で守備範囲が異なるのであれば、少なくとも同じ顧客に対する視点は異なります。
たとえマーケティング(MR)とメディカル・アフェアーズ(MSL)が顧客と交わす課題のテーマが同じであったとしても、視点が異なる相手との複数の接触機会によって顧客の価値観や認識をより深くさぐることが容易になります。
つまり、同じKOLに対する複数機能によるアプローチは、インサイト・ジェネレーションに最も効率的、効果的な手法なのです。そのためには、一人のKOLに関してそれぞれの機能で異なるデータベースを持つのではなく、すべての機能が共有するダッシュボードを持つこと。そして、それぞれの機能のそのKOL担当者が同じダッシュボード上で共有する情報や課題を通して、横櫛で考察を行うこと。これにより、より正確なKOLのインサイト・ジェネレーションが可能になります。
例えば、あるKOLのインサイトを考察するにしても、マーケティングなら、対象市場での競合を含めた自製品の位置付けやキーメッセージのテーマへの同意に関するインサイトを確認したいでしょう。メディカル・アフェアーズなら、担当製品の新規適応症案への同意度や新しい大規模試験データへの興味などのインサイトを把握したいかもしれません。
ただ、そのKOLにとって見れば、どちらも「ある企業のある一つの薬剤」に関する自分の総合的な認識や価値観に変わりはなく、それはそのKOLの個人的な経験やニーズ、診療や疾患に対する信念などによって形成されています。
これは、円錐を真横から見ると二等辺三角形ですが、少し上から見ると立体(円錐)だと認識できる事に似ています。せっかく多機能な人材が同じKOLと接点を持っているならば、ひとつの評価軸だけに頼ったインサイト分析を行うことが非合理です。まして、マーケティング以上にメディカル・アフェアーズの方がKOLとの接触機会が多いことを考えても、このインサイト・ジェネレーションのアプローチは、企業バリューの実現という観点でも理にかなっていると言えます。
いま製薬各社が投資をしているデジタル・プラットフォームに、MA(マーケティング・オートメーション)やSFA(セールスフォース・オートメーション)、CRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)などがあります。
さらにこうしたデジタル技術の導入が増えることが予想されますが、これらデジタル技術を上手に活用するためにも、社内ステークホルダーの情報共有が必要です。その中でも、メディカル・アフェアーズとマーケティングの連携による顧客情報のインプットと顧客ニーズに合った情報アウトプットはとても重要で、これにより製品や企業の価値の向上が達成されると考えています。
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